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三、勅令
「またですか」
修行の後、光政に呼び出された千珠は、仏頂面でそう言った。光政は肘置きに半身をもたせかけ、肘をついて苦笑している。
「都には、神祇省もあれば陰陽師だってたくさんいるじゃないか。何で俺が毎度毎度……」
千珠は渋い顔で腕を組み、ぼやく。
「単に千瑛殿が千珠さまに会いたいんでしょうね」
と、横に控えた柊がさらりとそう言う。光政もため息混じりに頷いた。
「うーん、まぁ、そんな気配はするがな……。でもしかし、これまた勅令だ。帝のお言葉であるぞ」
「あの方なら、帝を使って千珠さまを呼ぶくらい、訳ないでしょうな」
と、柊はまた言い難いことをさらりと言うものだから、「お前はなんということを」と、千珠は柊を軽く睨む。
「今まで見てきた事実を申し上げたまでです」
「……」
「まぁ、佐々木猿之助の件は、どこの国も警戒している。奴は危険人物だからな……。しかしどこを一番護らなければならぬかということは考えるまでもない。帝のおわす都なのだ」
「殿は俺に行けって言ってるんだな」
と、千珠。
不貞腐れている千珠に向けて、光政は困ったような笑みを浮かべるが、その表情はどこか甘い。
「まぁ、勅令だからな。この国は手薄になるが、仕方ないだろ?」
「じゃあ殿から断ってくれよ。青葉が手薄になるからってさ」
千珠はどこまでも面倒臭そうな口調だ。隣で柊がにやりと笑う。
「何や、今回はえらい嫌がるんですね。お父上や弟君 に会えるいい機会なのに」
「……そりゃ、そうだけど」
「舜海に自分から会いに行くみたいになるのが、嫌なんですか?」
と、柊はまた言わなくてもいいことをさらりと言ってのけた。
千珠はじろりと柊を見上げる。
「そんなんじゃない。俺がわざわざ都まで毎回行かなくてもいいくらい、向こうにしっかりして欲しいだけだ」
「ふーん。まぁ、それはそうですね。……しかし舜海のやつ、二年でと言いつつ帰って来うへんな。もう弥生やというのに」
柊は千珠の冷たい視線を避けるように、あさっての方向を見ながら、ふとそんなことを言った。
「そういやぁ、そうだな」と、光政も言う。
舜海がここを発ったのは、二年前の暮れの頃だ。本来ならばそろそろ帰還の知らせが届いてもいい頃なのに、一向に何の連絡もない。
千珠にとって、それは確かに気がかりの一つではあった。
舜海には会いたい。しかし、待ちわびているというような態度を見せるのは癪だ。
だから柊の言う通りで、この時期に都へ行くことには抵抗があった。まるで早く帰ってきて欲しいから迎えに来た、みたいな格好になるのが嫌なものだから、意地を張っているのである。
光政はぽんと膝を打ち、決定を下す。
「とにかく、柊と二人で都へ行ってくれ。勅令には逆らえないからな」
「……分かったよ。全く面倒な」
千珠はしぶしぶ返事をした。
「今回は俺だけですか?」
と、柊。
「伊予の国の件で、まだここらは少しざわついているからな。他の忍は置いていけ。ここがあまりに手薄になるのも困る」
「わかりました。宇月は?」
「宇月には、少し違う仕事を既に命じてあるところなのだ」
「へぇ」
千珠は初耳だったので少し驚いた。そういえば宇月に最近会っていない。
「まぁ、必要とあればそれが終わってから都へ行くように言うが……」
光政の言葉の最後に、宇月の声が重なる。
「今回はご遠慮したいでござんす」
千珠と柊が振り返ると、宇月が大量の書物山積み抱えて現れたところだった。宇月はふらふらとそれを光政の脇に置くと、ふうと汗を拭う。
「都には業平様もいるでござんすから、私が今回わざわざ出向くことはないでござんしょう」
千珠は、数カ月ぶりにきちんの宇月を見た。少し髪が伸びており、ほんの少しだけ、前にあった時よりも大人びて見える。……大人びてと言っても、もう十分大人なのだが。
「今は千珠さまのお世話を焼いている暇もあまりないでござんすから……」
「お世話っていうな」
千珠が口を挟む。
「ま、二人ならばすぐに着くやろうし、準備して今夜発ちましょう」
と、柊。
「分かった」
光政と宇月は話があるというので、千珠と柊だけがその部屋を後にする。
千珠はなんとなく宇月のことが気にかかり、光政の部屋から宇月が出てくるのを、少し離れた場所で待っていた。
しばらくして出てきた宇月は、先ほどと同様に大量の書物を抱えている。千珠は近寄ると、その書物を軽々と抱え上げた。
突然目の前から書物が消えたことに驚いた様子で、宇月が目を瞬かせて千珠を見上げる。
「まぁ、千珠さま。……ありがとうございます」
「色々と、仕事が多いんだな」
「ええ。舜海さまがおられないので、妖関係のものはすべて私が処理しているでござんすよ」
「言ってくれれば、俺も出張ったのに」
「あなたが出てくるまでもない小物でござんすから」
「ふうん」
「二年とちょっとぶりでござんすね、都は」
「ああ」
「ようやく、舜海様にも会えるでござんすね」
「うん……まぁ、そうなんだけど」
宇月の視線を下から感じつつ、千珠はぽりぽりと頬を掻いた。
「いないことにやっと慣れてきたってのに、こっちからわざわざ迎えに行くようなのは癪だなと思ってさ」
「ふふ、意地っ張りなことで」
「五月蝿い。なぁ、お前も行かないか?」
「え?」
千珠は、少し心細そうな目で宇月を見る。宇月は、そんな千珠の表情に吹き出した。
「なんで笑う」
「全くもう、千珠さまは頼みごとが上手でござんすね」
「じゃあ行く……」
「いいえ、それとこれとは話が別でござんす」
即座に断られた。
「今回は、私がいなくてもきっと大丈夫でござんすよ。この二年で、千珠さまは随分と大人になられましたもの」
「そうかな」
「ええ。そうでござんす」
千珠は、少し嬉しそうに笑を浮かべた。
「でもさ、同じ城にいるのに、お前に会ったのは数カ月ぶりだ。宇月も都へ行けば、しばらく一緒に行動できるじゃないか」
「……千珠さま、そんなに私と一緒にいたいのでござんすか?」
宇月は、その直球な台詞に照れたように頬を染めながら、そう尋ねた。千珠は自分の放った言葉の意味を反芻してようやく理解すると、赤面しつつそっぽを向く。
「いや別に、そういうわけじゃ……」
「ふふ、舜海様が戻れば、また寂しくなくなりますよ」
「違う。それとこれとはなんか違う、ような気がする。……よく分からないけど」
千珠は言葉に窮し、そのまま何も言わずに宇月と別れた。
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