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二十六、土御門衆の間者

「保臣と佐為はまだか!?」  苛々した口調で貴船の隠れ家をうろうろと歩きまわっているのは、佐々木影龍である。  夜顔の中に埋め込まれた千珠の耳飾りが外れないと分かってから、影龍は他の手立てを考えていた。  そこで思い立ったのが、相手の体の一部を用いて使う古典的な呪詛である。千珠の妖力の大きさを考えれば、そんなものは足止めくらいにしかならないことは分かっていたが、何かあった時の備えとして、準備をしておきたかったのだ。  その役目を申し付けたが、清水保臣と一ノ瀬佐為であった。保臣は腕っ節も霊力も強く、影龍が重宝している男だ。そして何より彼は、影龍に心酔している忠実な部下であった。  一ノ瀬佐為は、藤之助の部下の一人である。影龍は佐為のことを藤之助の腰巾着くらいとしか思っていないが、その頭が良さは認めていた。頭は悪いが力の強い保臣と佐為を組ませ、千珠の肉体の一部を取ってくるように命じたのだ。  夕方に出かけていった二人が、夜中を過ぎても帰ってこない。  影龍は苛立っていた。  千珠の血肉が手に入らない上に、今は貴重な人材を二人も失ったことが猿之助に伝われば、自分の評価は地に落ちる。功名心の強い影龍にとって、それは耐え難いことであった。  これがうまくいけば、藤之助を押しのけて自分が佐々木派の副棟梁になる切っ掛けを得ることができたかもしれないというのに。  影龍は藤之助が目障りだった。弟であるというだけで、猿之助の右腕を気取っているあのおとなしい男が。  影龍は奥歯を噛み締めて、季節はずれの雪の舞う空を見上げた。  月のない真っ暗な空が、広がっていた。  ✿  佐為は縄で縛り上げられたまま、業平の前に突き出された。  寝ていたところを起こされた業平は機嫌が悪い。ほどいた白髪混じりの黒髪はぼさぼさで、寝間着に羽織り姿の業平は、仏頂面をぶら下げて仕置部屋に現れた。 「……ったく、さっき眠ったばかりやっていうのに……」  ぶつぶつと都訛りで愚痴を言いながら、業平は仕置部屋の低い入口をくぐった。そして、糸目の青年を見ると,目を瞬く。 「……佐為。何してる」 「それはこちらの台詞です」  当たり前のように会話をする二人に、周りにいた者は目を見合わせた。部屋の外にいてその声を聞いていた千珠たちも、顔を見合わせる。 「縄を解いてやれ、こいつは私が使っている間者だ」 「何だって!?」  千珠が驚いて声を上げていると、業平は仕置部屋からのっそりと出て来た。 「いやいや、彼が今日話に出た間者なのです」 「え?では何故俺を……?」  続いて出てきた佐為は、縄で縛られていたところを手でさすりながら、千珠を見てにっこりと笑った。笑って糸目になった佐為は、まるで狐のようだった。 「いい流れで佐々木影龍から僕に仕事が来たので、これを機に一度こちらへ戻ろうと思っていたのです」 「はぁ?でもお前、俺を攻撃したじゃないか」 「ちょっと縛っただけじゃないですか。大人しくしていてと言ったのに、君が暴れるから」 「あんな物騒な顔してりゃ、誰でも危険人物だと思うだろ!」 「僕はもともとそういう顔です」 「……」  千珠は気が抜けたようにぽかんと口を開けて、しゃあしゃあと言葉を返してくる佐為を見つめた。佐為は千珠に近寄って、少し身を屈めて顔を近付けてくる。 「でも、本当に強いね。あれなら、猿之助などすぐに殺せるでしょうに。情がからむと、君はむしろ弱くなるようだ」 と、言った。  千珠は、自分を見据える佐為の目を見つめ返す。黒曜石のような深いきらめきのある瞳をしていると思った。 「……そんなこと」 「神社で、君は自分と夜顔のことを俺達、って言ったよね。何をそんなにまで共感しているのかと、呆れてしまったよ」  千珠ははっとして、その切れ長の大きな瞳を見つめた。佐為の瞳はどこまでも静かで、自分の揺れ動く心を映す鏡のようだった。 「おい、お前。あんまり知ったような口、きかんといてもらおうか」  見かねた舜海が、ぐいと佐為の襟首を掴み上げる。佐為は驚く様子もなく、そんな舜海をしれっと見上げた。 「君か、千珠さまの鞘の役割をしている男というのは」 「それが何や」 「霊力の強い男だと聞いていたけど、大したことないね」 「何やと?」  舜海は額にぴきりと青筋を浮かべ、佐為を締め上げたまま睨みつけた。佐為は無遠慮に舜海の瞳を見上げている。  業平は首を振り、「もうやめろ、佐為。口は慎めといつも言っているだろう」と、うんざりしたようにそう言った。 「あんまり思ったことをほいほい口にするもんじゃない」 「巣に戻って、気が緩むんですよ」  佐為は業平を見て、にっこりと笑う。そして、ばしっと舜海の手を振り払った。  その手の強さは、舜海が推し測っていた佐為の霊力や腕力からは想像もつかないほどに強かった。舜海は驚いて、弾かれた自分の手を見下ろす。 「僕はね、自分の力をすっかり消すことが出来るんです。あちらにいたときは、ずっと霊力を殺していたのですよ。ちなみに、今もね」 「……ほう」 「おかげであちらには舐めきられたもので。まぁ、だからこそ動きやすいんですけどね」  佐為は余裕の笑みを浮かべて舜海を見上げた。千珠ほどではないものの、佐為の黒目がちな瞳はどこか妖しい。 「君がその程度なら、僕が代わりに千珠さまの鞘になってもいいかもね」 「……何やと」  舜海は佐為の言葉に眉をしかめた。佐為はふっと再び糸目になると、舜海に見せた攻撃的な色味を一瞬で隠す。 「冗談ですよ、舜海殿。さて、僕は一晩ここで休ませて頂きます。それからまたいつものように、向こうへ戻ります」 「分かった。すまんな」 「いいえ、僕の目的のためでもありますからね」  千珠は、佐為の行動の一つ一つを見つめていた。油断のならない男だと思った。  佐為はそんな千珠の視線に気づいているようにも見えたが、終始素知らぬ顔をしていた。しかし、部屋を出ていきしな、千珠の横を通り抜けつつ「おやすみ、千珠さま」と、少し高い位置から思わせぶりに囁く。  千珠がちらりと目線を上げると、佐為は黒曜石のような瞳をきらめかせて微笑し、そのまま部屋を出て行った。 「なんやあいつ、いけ好かんな」  舜海は腕組みをして、不機嫌そうに鼻を鳴らす。業平は苦笑する。 「彼も戦で家族を亡くして苦労をしているから、ちょっと性格が小難しいのだ。しかし、藤之助の忠実な部下でもある」 「へぇ……」  千珠は関心を持ったようにそう呟く。 「彼なりに、藤之助を助けたいと思って、間者として働いてくれているのだ。佐為とは明日話をするから、千珠さまもおいで」 「はい……ぜひ」 「俺も行っていいですか?」 と、舜海はすかさず尋ねた。業平は困った顔をすると、 「君たちは相性が悪そうやからなぁ……ちょっと遠慮してもらおう」 と言った。 「え!?そんな」 「俺もそれがいいと思う。お前がいないほうが順調に話が聞けそうだ」 と、冷ややに千珠も口を合わせる。舜海は恨めしそうな目つきで、千珠を軽く睨んだ。 「お前はほんまに可愛くないやっちゃな」 「お前に可愛がられなくとも結構だ」 「……」  千珠がぷいとそっぽを向き、舜海はぴきりと青筋を浮かべた。柊は二人の間に割って入ると、 「まぁまぁ、ええやん。これでまた一歩、状況が開けるかもしれへんし。舜海、ここは我慢せぇ」 と言って、笑顔で二人を諌める。  そして、業平が大欠伸をした。  

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