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三十二、叱咤

 本邸の渡し廊下の柱に寄りかかって腕を組み、舜海は少し遠目から、二人で過ごす千珠と宇月を眺めていた。  いい雰囲気だと思った。自分は千珠のあんな笑顔を、見たことがあっただろうか。  とても美しい、素直な笑顔。そして、守るべきものを包み込むような、どこか精悍な表情。  ――宇月のことが、好きなんやな……。 「やっぱり、そろそろ潮時か……」  舜海は人知れずそう呟いた。目の当たりにしてしまうと、想像以上に胸が痛む。しかし、あんな千珠の笑顔を見てしまった以上、自分の気持は押し殺すしかないのだ。  ――あいつの気持ちを、大切にしてやりたい。  それがお互いのためでもある。そう、自分に言い聞かせた。  結っていた髪を解くと、舜海はぶるっと頭を振って髪をばらけさせる。伸びた髪が舜海の痛々しい顔を隠すように、振りかかる。 「……舜海」  振り返ると、山吹が立っていた。舜海ははっとして、急いで笑顔をつくろうとしたが、それは上手くは行かなかった。 「な、なんや?」 「……佐為さまが、探しておられたので……」 「あ、ああ……行くわ」  舜海はうまく表情が作れないまま、山吹の横をすり抜けようとした。その腕を山吹がすれ違いざまに掴み、舜海は驚いて動きを止めた。 「?どうした」 「……そんな顔で行ったら、皆が心配する」  山吹は目を伏せたまま、小さな声でそう言った。 「え?」 「……何かあったんやろ?」  山吹は表情が薄く口数も昔から少なかったが、今自分を見上げている瞳の中に、気遣いが浮かんでいるのはよく分かった。久しぶりにまともに見る山吹の顔は、幼い頃の面影を残しつつも、すっかり大人の女へと変化していることに今更気がつく。 「いや、何でもない」 「……嘘」 「何でもないって、言ってるやろ!」  物静かな山吹の眼差しに、自らの動揺が殊更くっきりと浮き彫りにさせられるような気がして、舜海は思わず苛立ちを破裂させていた。  声を荒げてから、はっとした。山吹は相変わらず無表情だったが、舜海の言葉に微かに眉を動かす。  そして、すうっと深く息を吸い込むと、山吹はきっと舜海を睨んだ。 「……何もないわけないやろ!ええ加減にして!」 「えっ」  初めて見る山吹の怒りの表情に、舜海はあっけに取られる。 「千珠さま千珠さま……って、何やねん!?うじうじそんな情けない顔して!しゃきっとせんかい!!」 「……え、ええ?」  何を怒られているのやら一瞬分からなかったから、舜海は息を飲むしかない。 「あんたは阿呆やけど、元気で強くて格好よくて明るくて……皆をいつも笑顔にしてた。そんなあんたはどこへ行ったの!?」  今にも泣きそうな表情に見えた。その顔が、ふと幼い頃の山吹とだぶる。 「あたしは、いつもあんたの笑顔に助けられた。小さい頃……修行にも仲間にもなかなか馴染めへんで辛かった時、あんたの明るさに支えられて頑張れたんやで!なのに……」  そこまで一気に捲し立ててから、山吹ははっとしたように口をつぐんだ。  ぱっと舜海から手を離して俯くと、胸のあたりで両手を握り締める。 「……すみません。偉そうなことを」 「待て」  踵を返そうとした山吹の肩を、舜海は掴んだ。  思わぬ相手から叱咤されたこと、しかも口下手な山吹が……その言葉の一つ一つが胸に真っ直ぐ入ってきて、舜海はようやく気が引き締まる。   「ありがとな、山吹」 「……いいえ、そんな……出すぎたことを」 「いいねん。お陰で、なんか目ぇ覚めたわ」  舜海はもう一度千珠たちの方を見遣ってから、また笑みを浮かべた。 「なぁ、髪切ってくれへんか?」 「えっ、今?」 「ああ。長くて重いし、うっとうしいやろ」 「……いいですけど」 「あと、俺にはもうそんな言葉遣いするな。俺達幼馴染やろ。とっくに戦も終わったんや。立場とかそういうの、もう関係ないわけやし」  山吹は目を瞬き、こくりと頷く。 「ほれ、行くぞ。ばっさりやってくれ」  舜海は顎をしゃくって山吹を誘うと、庭の方へと歩き始めた。  その顔に、少しばかり寂しげな笑みを乗せて。

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