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三十三、ふたりの女
幼い頃から、山吹は舜海に憧れていた。
齢六つの時に親を戦で失い、青葉に拾われた。その生活になかなか馴染めず、家族を失った悲しみに暮れていた。そんな山吹を明るい笑顔で救ってくれたのは、黒髪のぼさぼさ頭、強気さを滲ませる大きな目、濃い眉が凛々しい男の子。
それが、舜海だった。
自分と背丈も年齢も変わらないであろうこの少年の強さと、何にも物怖じしない態度が眩しかった。その堂々とした背中に憧れた。
だからこそ、鍛錬に励んだ。いつか舜海の隣で戦えるように。いざという時、力になれるように。
戦の気配が濃くなった頃、城に手負いの鬼が迷い込み、その鬼が、戦を勝利に導くという噂が、まことしやかに流れ始めていた。
山吹はそんな夢物語のような話は信じてはいなかったし、あまり関心もなかった。ただ自分は自分で、与えられた任をこなすだけだと思っていたからだ。
山吹がその鬼のことを見たのは、戦の最中一度だけ。
白い狩衣、長い銀髪の小さな後ろ姿。こんな子どもが、今まであちこちの戦地で数千の敵を薙払ってきたなんて、信じられなかった。
その小鬼の力は圧倒的だった。
鉤爪で肉を裂き、見たこともない美しい刀を閃かせ、目にも留まらぬ速さで駆け抜ける。子鬼は顔色ひとつ変えず、ほとんど一人でそこにいる兵士たちを殲滅した。
白い狩衣を真っ赤に染め上げ、死体の山の中に立つ小さな背中は、まさに鬼。
正直、恐ろしかった。あんなものがこれからも青葉に棲み続けるなんて、なんて忌まわしいことなのかと。
しかし戦の終焉と共に平和が訪れてから、舜海と千珠がよく行動を共にしているのを見かけた。
千珠を中心に据えた任に、柊と山吹も同行することも増えていたから、千珠と会う機会が増えた。付き合ううちに、千珠がただ恐ろしいだけの鬼ではないことを知った。
そしてその時、舜海の目に映るのは千珠だけだということに気がついてしまった。まるで慈しむように、愛でるように、舜海はいつも千珠を見守っていた。
二人の間に、この数年で何が起こってきたのかは分からないが、舜海の女遊びの噂を聞かなくなったのもこの頃だ。
そして、陀羅尼事件の時。業平の誘いを受けて、舜海が都へ行くと決まった時、それすらも千珠のためであるということを知ってしまった。
舜海を見ていると、いつもそこには千珠の白い影があった。
強く美しい千珠の姿を見る度、そこには舜海の広い背中が見えた。
自分には太刀打ちできない、二人の絆が見えた。
❀
「何呑気なことしてるんですか」
髪を切り終えた舜海が、細かい髪の毛をばさばさと払いながら見上げると、そこに佐為と詠子が立っていた。
「髪、どうして切ったんだ?」
と、詠子は山吹と舜海を見比べながらそう尋ねた。
「別に、気合や気合」
「ふうん。父上が、お前にも軍議に出るようにといっているのだ。とっとと来い」
「あ、ああ。分かった。俺だけでいいんか?千珠や宇月は?」
「もう呼んであるよ」
と、佐為はにこにこしながら舜海に近付いてくる。そして、肩につくかつかないかまで短くなった黒髪を、全方向から確認するように舜海の周りをくるりと一周する。
「そうか。ほな行く……ってお前、何しとんねん」
「ねぇ、何で?何で髪切ったんだい?失恋でもしたの?髪ってのは記憶と直結するものだからね、切るってなるとよほど何か心境に変化があった時だと相場は決まってる」
と、佐為が舜海にまとわりつきながら、くどくどとそんなことを喋りかけてくる。舜海は鬱陶しげな顔をして、佐為を見下ろした。
「だから気合入れるためやって言ってるやん。何でお前にそんなことを説明せなあかんねん」
「気合ねぇ。逆にぼさぼさで鬱陶しい気がするんだけど」
佐為はにやにやしながら舜海の脇腹を肘で小突き、舜海のこめかみに青筋が浮かぶ。
「ねぇ、やっぱり何かあったんでしょ?」
「つつくな。何もないわ」
「ねぇ、なんで?教えてよー」
「だぁもう!!しつこい!そして気持ち悪い!」
「気持ち悪いってどういうことだよ」
と、佐為が心外だという顔をしてそう言った。
「お前はいちいち距離が近いねん。こっちに寄るな」
舜海はぐいぐいと佐為の顔を押しやって遠ざけるが、佐為はそれを面白がっている様子がありありと分かる。
「何だよ。一緒に戦うんだから仲良くしようよ、ねぇねぇ」
「そういうとこが気持ち悪いんや、ど阿呆!寄るな!」
「あはは、君はからいがいがあるな」
佐為はさも楽しげに笑っている。
そんな騒がしい二人の背中を見ながら、詠子は自分たちに背を向けている舜海の広い背中を見ながら、唇を噛んだ。そして、横に佇んでいる山吹をちらりと見る。
「そなた、青葉の忍なのだな」
「……はい」
「あいつを連れ帰りに来たんだな」
「……そういうことになりますね」
「そうか」
「……申し訳ございません」
「何故謝る」
詠子は少し腹を立てたように、山吹の静かな顔を見た。
「……少し、怒っておいでのようでしたので」
「別に!とっとと連れ帰ればいいさ。そして、国で一生あの子鬼のために生きていけばいい」
詠子は悔し気にそう言った。
その言葉と表情から、山吹は詠子の気持ちを悟った。自分と同じ気持ちを、舜海に対して持っているということを。
「……ええ、本当に。馬鹿な男」
山吹はそう呟いて、話は終わりとばかりに口布を上げた。
山吹をちらりと見遣る詠子も、溜息混じりに呟いた。
「本当だな。大馬鹿野郎だ」
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