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三十五、感知

 千珠は立ち上がった。  そして、今まで話をしていた業平の言葉を遮ると、険しい顔で顔を巡らせる。 「……おかしいぞ」  千珠は部屋を飛び出し、身軽に屋根の上へ跳んだ。  数日前、迷子になった槐を探した時と同じような濃い霧が、都中に立ち込め始めている。夕暮れ時の影と相まって、その霧はまるで濃い紫色をしているように見えた。 「……来る」 「千珠さま」  千珠は廊下に出てきた業平に向かって、大声で告げる。 「夜顔と猿之助が、来るぞ!」 「……分かりました」  業平は直ちに鍛錬場に陰陽師衆を集め、指示を飛ばし始めた。数十名の陰陽師たちで、白砂利敷の鍛錬場は黒に埋め尽くされている。 「都に猿之助が現れる。いいか、見廻組は都を回って民を守れ。必要なら式を飛ばして援勢を求めろ。後方組は都を護る十六夜(いざよい)結界と御所を守れ。そして、残りの者は四人一組で固まり、佐々木衆との戦闘に当たれ。猿之助はまず、ここへ来るに相違ない。迎え撃つぞ!」 「応!」  陰陽師衆から、業平の呼びかけに応じる声が立つ。皆がばらばらと散り、持ち場へと向かって走ってゆく。  業平の前には、千珠、舜海、佐為、詠子、宇月が残った。その後ろには柊と山吹も立っている。 「忍のお二人は、結界術を破ろうとしている術者たちを見つけてもらいたい。不審な動きをしている者は、容赦無く眠らせて頂いて構わない」 「分かりました」  業平の言葉を受けて柊達は頷くと、すっと姿を消した。 「詠子、お前は風春の隊へつけ。宇月は後方組でここの結界を護るのだ。ゆけ」 「はい」  宇月はすぐに駈け出した。しかし、詠子はしばし舜海を見つめてから、振り切るように目を逸らし走り出す。業平はそんな娘の表情を見ていたが、一瞬目を閉じて息をついた。 「さて、千珠さま殺害も猿之助の目的の一つ。我々はここに残って千珠さまの周りを固めよう」  業平は佐為を見ると、「猿之助は、私が殺す。いいな」と言った。  佐為は頷き、「藤之助様は私が何とかしましょう」と言った。  屋根の上の千珠は、腕組みをしてじっとあたりの気を探っていた。しかし、初めて夜顔が都に現れた時と同じく、霧のせいで感覚がじわじわと鈍ってゆく。 「この霧も結界術や。目くらましに使われる、陰陽師衆の技の一つ」  いつの間にか舜海がすぐそばに立っていたものだから、千珠は驚いていた。そんな反応を見て、舜海は得意げに笑った。 「気づかへんかったやろ。これも修業の成果や」 「そうかよ」    ふと、千珠は舜海の容姿が少しばかり変化していることに気付いた。 「あれ、髪……。切ったんだな」  舜海は青葉にいた頃のような、ぼさぼさ頭に戻っている。額を隠すざんばら前髪の下で、その力強い目つきはさらに猛々しく見えた。舜海はからりと笑う。 「やっぱり、きっちりしてんのは性に合わへん。山吹に切ってもらった」 「そうか」  いつの間にか、舜海は着崩した法衣を身に纏っていた。逞しい胸筋を覗かせ、腰に刀を帯ひ、豪気な笑みを浮かべるその姿に、ようやく舜海が戻ってきたような心地がして嬉しくなる。 「せっかくすっきりしてたのに。また暑苦しい頭になりやがって」 「やかましい」 「ふふっ」  ついつい投げかける憎まれ口にも、即座に望んだ反応が返ってくる。千珠は思わず少し笑っていた。  舜海は冷えた風に髪を乱されながらも、千珠に明るい笑顔を向ける。 「俺が術で夜顔を抑えるから、お前はどうにでも思うようにやれ」 「え?お前、それでいいのか?」 「昨日も言うたやろ。俺はお前の味方や。お前は好きに暴れたらええ」  千珠は舜海に背を向けると、人知れず笑顔を浮かべた。そして、強い語調で言い放つ。 「そうさせてもらおう」

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