201 / 340

四十一、終焉の夜

 ほっとした途端、力が抜けてがくっと身体が傾いだ。 「おい……」  舜海に抱きとめられ、肩を貸してもらいながらその場に座り込む。 「お前……すごい熱やないか。無理してたんやな」 「夜顔の妖気が、石だけでは収まらなかったんだ……俺の身体の中で、浄化しないと……」 「そんなこと出来るんか?」  千珠は上半身を舜海に抱かれながら、苦しげに息をしていた。  ふと、佐為が千珠の横に跪き、その手から耳飾りをひょいと取る。 「僕がこの石に封印術を加えるよ。そうすれば、少しは楽になるだろうから」 「……ほんまか」 「ただ、一生ものというわけにはいかないよ。いつも注意しておかないといけない。まぁ、青葉には舜海が帰ることだし、大丈夫だろう」 「ああ、せやな。やってくれ」 「よし」  佐為は耳飾りを掌に収めて手を合わせた。そして、そこに自分の息を吹き込める。  千珠の胸の上に石を置き、その上に両手を重ねると、佐為は目を閉じて唱えた。 「封印術、#封魔永劫__ふうまえいごう__#。急急如律令」  ぼんやりと、千珠の胸の上に赤い光が生まれた。身体中の血管という血管に絡みついていた刺のある蔓のようなものが、するすると解けて消えてゆくような、そんな感覚である。  痛みが引き、霞んでいた視界が明瞭になる。千珠は目を開けて、自分を見下ろす舜海と佐為を見上げた。 「熱が引いた。隈も消えたな」  と、舜海。 「ちょっと失礼」  佐為は耳飾りを取ると、再び千珠の耳を貫いて身に付けさせた。いつものように千珠の耳に収まった耳飾りは、淡い月の光を受けて少しだけきらめく。 「これで……いい。終わりだよ」  佐為はくたびれたのか、その場に尻をつき、両手を後ろについて深呼吸している。  舜海に抱き起こされ、千珠は改めて二人に笑顔を向けた。 「ありがとう、二人とも。おかげでうまく行った」 「ああ、ようやったな、千珠」 と、舜海もからりと笑い返し、佐為も声を立てて明るく笑った。 「……はぁ。身体に力が入らない」  千珠は立ち上がろうとして、再び脱力した。夜顔の妖気に蝕まれたせいで、身体の内部が随分と傷ついているらしい。 「ええやん、ゆっくり休めば」 「そうも行かないだろ。まだ、佐々木衆の残党が……」 「そういうのは、僕らに任せておいてよ」  佐為は立ち上がって、町並みを眺めている。気を探っているのだろう。 「他の術者はすべて捕縛されたようだし……猿之助にくっついていた守清は腰抜けだ。大丈夫だよ」 「そっか……」  千珠は、何気なく舜海の襟を掴んでいた。傍らで千珠の肩を抱いていた舜海が、ぴくりと身体を揺らす。 「動けるように、気を高めてくれないか、舜海」 「え、ああ……。分かった」  千珠の潤んだ瞳に魅入られたように、舜海はしばらくその目を見つめていた。それを見て、佐為は気を遣ったらしい。ふらりとその場からいなくなる。 「助かった、お前のおかげだ」 「まぁな。感謝せぇよ」 「この二年で常識人になったお前は、てっきり最後まで反対すると思ってたのに」 「まぁ、最初は少し迷ったけど。でも俺は、お前の味方や。何度も言わせんな、照れるやろ」 「ははっ……ありがとう、な」 「おっ。素直に礼が言えるようになったんやな」 「五月蝿い」  舜海は笑うと、むくれる千珠の肩を抱き寄せて唇を重ね、すうっと息を吹き込んだ。    千珠は手を伸ばして、舜海の首に腕を絡める。何度も何度も、二人は唇を重ね合わせた。  包み込まれるような、舜海の熱い唇が心地よい。慈しむように、丁寧に、送り込まれる力強い霊気はたまらなく美味だ。もっともっと欲しくて、ずっとずっとこの心地良い行為を続けて欲しくて、千珠は腕に力を込めて舜海に身を寄せる。 「……ん、ん」  呼応して熱さを増す、舜海の行為が深くなる。吐息が漏れる。  しかしふと、舜海はいやに潔く千珠から顔を離した。少し寂しくて、物足りなくて、千珠は名残惜しげに舜海を見つめた。  舜海の眼差しの中に、ほんの少し寂寞としたものを見て取った千珠は、怪訝に思って目を瞬く。 「舜、お前……」 「具合、どうや?」 「……あ、うん、いい感じだ」  その目つきの意味を問おうとした言葉を遮られ、千珠は仕方なくこっくりと頷いた。舜海はなんとも言えず切な気な微笑を浮かべ、千珠の頭を柔らかく撫でた。 「ついでに言っておこうかと思うねんけど……」 「なんだ?」 「お前を抱くのは、もうやめにする」 「えっ……?」  その言葉の意味が分からず、千珠は少なからず混乱していた。さっきまで火照りかけていた身体から、一気に熱が引いてゆく。  千珠のそんな表情から目を背けるように、舜海もつらそうに眉を寄せた。 「お前も、そろそろ先のことを考えなあかん。宇月との未来とかな」 「……あ」  舜海から目が離せなかった。その淋しげな口調が胸に痛くて、鼓動が早まる。  同時に、宇月のほっこりとした笑顔が思い出される。 「俺はお前の気を高めてやれる。でも、今のお前なら交わりを介さなくても、口移しだけで十分に回復できるやろ」 「うん……」 「夜顔に、槐……お前はあいつらにとって兄貴みたいなもんや。しっかりしていかなあかん立場になった。分かるやろ?」 「……うん」 「そんな顔するな。俺は青葉に帰るんや。これからはずっと、お前のそばにおる。それは、何も変わらへん」 「……うん」  千珠は頷いたが、尚も不安が拭えない。舜海は千珠の頬を撫でると、安心させるように笑った。 「大事にしたい女ができたんやろ? お前を宇月と取り合うなんて阿呆みたいな三角関係、俺はごめんやで」 「……三角関係、って」 「せやし、俺らは戦の前の関係に戻る、それだけや。まぁでも、俺の気が必要な時はなんぼでも吸わしたるから」 「……うん。そう、だよな……」   千珠は頷き、小さな小さな声でそう答えた。  舜海の明るい口調には、まだ少し寂しさが滲んでいるように聞こえるのは、都合の良い解釈だろうか。  千珠はもう一度、舜海の衣を握りしめて訴える。今はもう少し、甘えていたい。戦いの後の美酒として、舜海のことを味わっていたい。それくらいは……許されるだろうから、と。 「もう少し、欲しいな……」 「え?」 「お前の唾液」 「ああ……ええけど。もっとひねった頼み方できひんのか?」  舜海は複雑な顔をして、頭をかきながらそんなことを言う。 「そうかな?」 「まぁ、分かりやすくてええか」 「そうだろ」  舜海は小さく笑って千珠の頬に触れ、もう一度口づけた。 「舜……」 「ん?」 「……何でもない」 「うん……」  唇は別れても舜海から離れ難く、千珠は法衣に頬を押し付けてその身にすがった。  この匂いと、体温、背中や頭を撫でる愛おしげな手つき。  その全てを、肌に刻み込むように。        ✿  土御門邸は、壊滅状態であった。   佐々木衆の陰陽師を捕らえて戻ってきた詠子は、滅茶苦茶に破壊された屋敷を見て、思わず中へと駆け込んでいく。 「詠子さま! 危険です!」  風春の制止も聞かずに屋敷に入り込むと、あたりをぐるりと見回す。人の気配はなく、しんと静まり返った屋敷は真っ暗だった。 「父上!!」  詠子はここに残ったはずの父の姿を探した。どたどたと走って鍛錬場の方へ出ると、そこに座り込む人の姿を見つける。 「父上!」  駆け寄ると、業平がゆっくりと振り返った。そして、その足元には血塗れで横たわる猿之助の姿がある。 「父上……これは……」 「猿之助は死んだ。藤之助もな」  業平は再び表情のない目を猿之助に落とすと、疲れたようにため息をつく。 「夜顔も、死んだ」 「……そう、ですか」 「猿之助も藤之助も、私にとっては幼い頃からの友人でもあった。そんな友を、道を違ったからといって粛清する……なんと業の深いことだ」 「でも……都の脅威を退けるのが、我々の仕事です」  詠子は、初めて見る父の打ちひしがれた姿に躊躇いながらも、はっきりとそう言った。業平は振り返って、穏やかに微笑む。 「その通りだ。詠子、お前は間違うなよ」  詠子は業平の隣に座り込んで、猿之助に手を合わせた。追いついてきた風春を始め、戻ってきた陰陽師たちが、続々とそれに従う。   その様子を、千珠、舜海、佐為たちも、離れたところから見守っていた。  猿之助の遺体を囲んで、皆が合掌するさまを見ながら、業平は一筋涙をこぼした。  ――浮かぶのは、幼い頃の猿之助の勝気な笑顔ばかり。 「……静かに眠れ」  業平は、微かに震える声でそう呟いた。  夜闇に溶け込む陰陽師衆の黒装束。その手によって奪いゆく命のために、喪に服すが故の黒装束。彼らは今、静かに弔いの黙祷を捧げている。  一つの戦いが、終わった夜であった。

ともだちにシェアしよう!