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四十五、不器用な告白

 大分片付いた屋敷の中、大広間では宴会の準備が進められているようで、がやがやと楽しげな声が聞こえてくるようになった。  ちょうど疲れが出てきている所であった陰陽師衆にも、久々の気晴らしなのだろう。皆楽しげにいそいそと準備を進めているらしい。  そんな中、千珠は久しぶりに宇月と二人で過ごしていた。ばたばたと大忙しだったこの一週間、まともに宇月と話をする機会もないままであったのだ。  千珠が相も変わらず庭でぼんやりと金色の鯉を眺めていると、宇月がそこへやって来たのである。 「千珠さま」  千珠はどきりとした。声のする方に目をやると、宇月が微笑んで立っている。 「宇月」 「今回も、お見事でござんした」 「……別に、褒められるようなことをしたわけじゃない」  千珠は久しぶりに会う宇月にやや緊張気味で、再び鯉に目を移す。 「そんなことはないでござんす。誰かのために必死で考え動くことは、素晴らしいことでござんすよ」 「そうかなぁ?」  千珠は頬を染めてむず痒そうに肩をすくめると、欄干に腕を置いて、池の中を覗き込んだ。緑がかった水の中、いつぞやの金色をした大きな鯉がゆったりと尾を振って泳ぎ回っている。 「ええ、私はそう思います」 「……へへ」  宇月に褒められるのことなど、滅多にないことだ。千珠はついつい素直に照れてしまい、人差し指で意味もなく小鼻を掻きながら笑みを零した。  千珠の隣へやって来た宇月が、同じように鯉を見下ろした。 「こいつら、無事だったんだな」 「瓦礫降り注ぐ中、よく生き延びたでござんすな」 「本当だ」 「明日には出発でござんすよ。お父上たちには、もう会わないのですか?」 「昨日、挨拶に行ってきた。槐とも遊んできたし、もう大丈夫だ」 「まだ……兄だとは名乗らないのでござんすか?」 「……父上のお立場もあるからな。槐がもう少し大きくなって、しっかりしてきたら名乗ってもいいかもな」 「なるほど。すっかり、兄の顔でござんすね」  そんな事を言う宇月に、千珠はむくれる。 「また子ども扱いだな」 「そんなことないでござんす」  宇月は吹き出した。楽しげに笑う宇月の顔を見て、千珠もつられて笑った。 「お前も、しばらくここには帰れないぞ。いいのか?」 「私はもう、青葉の国に召し抱えられた者でござんす。帰る場所は、ここではございません」 「……そっか」 「共に帰りましょう、青葉へ」  宇月の言葉に、千珠ははっとする。  千珠にも、かつては故郷があった。今は誰もいない、からっぽの里。  しかし今は、青葉が自分の#故郷__くに__#なのだ。帰る場所ができたことに、離れてみて初めて気が付く。 「……うん、帰ろう」  千珠はそっと、欄干の上に置かれた宇月の手を握った。ぴくりと反応したその手は冷たくて、自分のものよりも随分と小さい。  ――大事にしたい女……か。  舜海の声が、耳の奥に残っている。  宇月を守って生きたいのなら、宇月にもっと認められたいのなら……一人の男として、もっとしっかりしなくては。  舜海に涙を拭ってもらうばかりではなく、自分が誰かの涙を拭えるようになりたい。甘えてばかりではなく、自分が誰かの心の支えとなれるように、この足で真っ直ぐに立つ勇気が欲しい。  ――お前の気持ちを感じていながら、俺は宇月を選ぼうとしてる……。結局また、甘えている。  ――それでも、俺はこの手を離せない。離したくはない。 「冷たいな」 「ああ……まだ夕暮れ時は冷えるでござんすからね」  引っ込めようとする宇月の手を両手に包み込み、千珠はその手に息を吹きかける。温かい千珠の吐息が、宇月の指先を包んだ。 「……お前のことが、好きだよ」 「え……っ?」  その言葉を声に出すことを、ずっと躊躇っていた。伝えたところで、いきなり関係が変わるものではないということは分かっている。  でも、知っていて欲しかった。厳島で感じた気持ちを、今もこうして持ち続けているということを。 「……千珠さま、何を仰って……」 「え、あ、うん……その、言いたかったから、言った……」 「はぁ……。そんなことを言われると、もっとどうしていいか分からないでござんす」 「俺だって分からないよ。でも……でも、知ってて欲しいんだ。国に帰ったらきっと言えないと思うから、伝えておきたくて」 「……はい」  宇月の消え入るような声と居心地の悪そうな表情に焦ってしまい、千珠はわたわたとまたこんなことを問う。 「俺のこと、嫌いか? 怖いと思うか?」 「まさか、怖いだなんて思ったこともないでござんす。それに…嫌いなんて、思うはずがないでござんすよ」 「本当か? ……宇月から見れば、俺はまだ不安定な餓鬼かもしれない。でも俺は、もっともっと強くなるから……」 「千珠さま」  自分の気持ちを言葉にすることなど慣れていないから、ついつい必死になって言葉を繋いでしまう。しかし、そんな千珠を宥めるように優しく名を呼ばれ、どきりとした。   「千珠さまは十分に強い。それに、十分に大人になられているでござんす。私は、それをお側で見てきましたから、よぉく知っておりますよ」 「あ……うん」 「お気持ち、確かに受け取りました。とても……嬉しいでござんすよ」 「本当か?」 「はい」  ほっこりとした暖かな微笑みを受け止めて安堵し、千珠はようやく心から笑うことができた。今この手の中にあるとびきりの笑顔を守れるなら、何だって出来る。そんな気がした。  千珠は、宇月の手を握り返す。きっと今の自分は、目の前にある宇月の頬と同じくらい赤いのだろうということは、簡単に予想がつく。顔が熱くて、胸の鼓動がいやに早くて、心が浮き立つから。 「……そっか、よかった」  千珠はほっと胸を撫で下ろし、改めて宇月のつぶらな瞳を見つめる。  恥ずかしそうに何度も何度も目を瞬く姿が可愛く思えて、千珠はついつい声を立てて笑ってしまった。  宇月も、同様にどぎまぎしていた。  不器用に、必死に気持ちを伝えてくれるその姿がいじらしく、それでいてどこかいつもよりも大人びて見える千珠の表情に、見惚れてしまう。  少年から青年へと成長する、その道の途中。  ずっと見ていたいと思った。不器用ながらも真っ直ぐに好意を伝えてくれた、この少年のことを。 「ありがとうございます……」 「なんだよ、顔が赤いぞ。冷えすぎて風邪でもひいたか? 熱があるんじゃないのか?」 「な、なななんでもないでござんす。千珠さまこそ、真っ赤でござんすよ」 「う、うるさいな、俺のは夕日の反射だよ。なんか手も熱くなってきたし、やっぱり熱が……」  千珠にぐいと手を引かれた。額をくっつけて熱を測ろうとしているらしい。  そんな台詞にかこつけて、接吻など迫ってくるような性格ではないということは百も承知している。千珠が純粋に宇月の体調を心配してくれていることは、分かる。  しかし突然、千珠の世にも美しい顔が急接近して来れば、誰だって大混乱するのは必至であろう。 「いやぁああああ!!!」  ばしっと鋭い音が庭に響き渡り、宇月の平手打ちが千珠の頬に炸裂した。

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