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四十六、酔っ払い

 千珠は仏頂面で、宴の席にやって来ていた。その左の頬は、赤く腫れている。  大広間に雑多に座り込んだ陰陽師達が、あちこちで酒を酌み交わしては食事をしている。舜海はその輪の中心にいて、次々に酒を注がれてはそれを飲み干し、上機嫌で騒いでいた。 「あいつ、明日二日酔いで動けへんかったら、置いて行きましょうね」 と、柊が言った。かく言う柊も、陰陽寮で働く雑仕女に酒を注いでもらっては、くいくいと気持ち良く飲み干していた。その横で、山吹が静かに食事を取っている。  宇月も懐かしい者達との間で話が弾んでいるのか、楽しげであった。佐為もその輪の中にいた。 「しかしまぁ、殴られるとは……千珠さまも災難でしたね」 と、風春が千珠の横で笑った。つられて業平も笑っていた。 「不器用なやつで、許してやってください」と、業平もほろ酔い顔でそんな事を言った。 「大丈夫ですってば」  千珠はそう言うと、そこに置いてあった水を飲み干した。 「あ。それは……!」  風春が慌てて止めようとしたが、時既に遅し。千珠が飲み干したのは、酒だった。 「……うぇっ」 「まだ飲むのは早いでしょうに」 と、咳き込む千珠の背中をさすりながら、風春は本物の水を呑ませようとしている。 「……千珠さまって、昔お酒を飲んで暴れて、道場を破壊しませんでしたっけ」  山吹がぼそりとそんな事を言ったので、業平と風春は青くなった。 「なぁに、大丈夫ですよ。千珠さまは飲んだら一瞬で寝てしまうから。はははは」  柊は酔っているのか、いつもよりも笑い上戸だ。意味もなくけらけらと笑うと、顔を近々と寄せて千珠の顔を覗き込む。 「ほぅら、もう眠たそう……」 「……ない」 「え?」  何事か呟いた千珠の言葉を聞き取れず、柊は千珠の口元に耳を寄せた。 「俺は眠くない!」  千珠はそう言うと、いきなり柊の腕を引っ掴んで背負い投げを食らわせる。細長い柊の身体が、騒がしい音を立ててその場にひっくり返った。  業平と風春はあっけに取られて、ゆらりと立ち上がった千珠を見上げる。白い顔がほんのりと赤く染まり、目が完全に据わっている。  普段はえらく人目を気にするくせに、今は皆の注目がその身に集まっていることなど気に掛ける風でもない。千珠はしゃっくりをしながら、獲物でも探すように陰陽師たちを舐めるように眺め回している。 「なんや、珍しい。千珠も飲んでんのか」 と、面白そうにその輪の中に入ってきた舜海が、がしっと千珠の首に腕を引っ掛けた。 「おいおい、もう酔っ払ってんのか?眠たそうな顔しよって。お子様にはまだ早いねん、もう寝ろ寝ろ」 「……るさい」 「ん?」  千珠はその舜海の手をがしっと握った。 「うるさい!!眠たくないって……言ってんだろうがぁ!」 「うおっ!」  舜海は腕を思い切り引かれて、床に引き倒された。危うく山吹の上に転がりそうになった舜海は、咄嗟に両手をついて山吹を庇う。 「あっぶねぇ……」  自分の腕の下にいる山吹を見て、舜海は慌てたように口をぱくつかせ、どたばたとそこから身を離す。山吹も真っ赤な顔で目を見開き、舜海を見上げていた。 「あ、悪い……」 「いえ……」  二人は居心地悪そうに、少し離れて座り直した。  さすがの身のこなしで受け身を取り、既に平然と座していた柊の目が、それを見てきらんと光る。  千珠は再び立ち上がると、改めて陰陽師たちを見回した。その目が、獲物に狙いを定めた獣のように、すっと細くなる。 「本当に……美味そうな奴らばかりだな」  近くにいた陰陽師達が一斉に青ざめて、座ったままじりじりと後ずさる。千珠は動いた者をちららと見比べては、突然身を屈めて近くにいた風春に詰め寄った。 「ひいっ!」  千珠は猫のように四つ這いになって、尻餅を付いている格好の風春の顔に鼻を近づけると、ふんふんと匂いを嗅ぐ。風春は、千珠の顔が至近距離にあることに照れているのか、はたまた食われそうになっていることに恐怖しているのか、赤くなったり青くなったり忙しい。 「お前……、特に美味そうだな」 「え、ええ?」  千珠は目の周りを赤く染めて、うっとり微笑みながらそう言った。風春は目を瞬かせて、いよいよ真っ赤になる。  千珠はぺろりと舌舐めずりをすると、ずりずりと後退する風春ににじり寄った。 「こうして見ると……陰陽師とは実に美味そうな……。どれ、味見をしてやろう」 「ひぃっ……!」  今度は風春は真っ青になった。まるで蛇に射すくめられた蛙である。 「千珠、もうやめろ」  呆れ口調の舜海が、千珠の首根っこをぐいと引っ張った。狙っていた風春(えもの)から引き剥がされた千珠は、明らかに不機嫌な顔で舜海を見上げた。 「何するんだ」 「お前、いつからそんな絡み酒になったんや。ほら、そいつは詠子の許嫁や、触ったらあかん」 「そんな事知るか!味見するんだ!味見味見!」  舜海の手を振り解こうにも、力が入らず振りきれない千珠を眺めながら、業平は苦笑して呟く。 「やれやれ、佐為以上の絡み酒だな」 「そうですね……」  風春は尚も赤面したまま、ささっと業平のそばに戻ってきた。そこへ、当の佐為が四つ這いで近寄ってくる。 「千珠!ねぇ千珠、僕は?僕は美味そうじゃないの?」 「佐為、お前まで!」 と、舜海がぎょっとして佐為を見下ろす。佐為はにやりと笑って、舜海の身体を支えに立ち上がった。 「味見なら僕にしなよぉ、僕は強いよー。うふふふ」 「うわ、なんやねんお前!きもいねん、寄るな寄るな!!」  佐為は舜海に首根っこを掴まれている千珠をじっと見つめると、妖しく笑った。すでに眠たくなっている千珠は、半ば閉じかけた目をしてくったりとしていた。 「本当に、美しい妖気だなぁ」  佐為は舜海を突き飛ばすと、がばりと千珠にのしかかった。佐為の馬鹿力で弾かれた舜海は、壁に顔面を強かに打ち付ける。 「いってぇ!」  そんな千珠たちのやりとりを見ながら、酔っ払った陰陽師達はげらげらと笑っていた。皆が久しぶりの酒で、かなり上機嫌になっているらしい。  佐為はしゃっくりをしながら千珠を組み敷き、その顔を覗き込む。千珠は佐為のされるがままだ。 「ちょっとくらい、いいよねー」  ゆっくりと千珠の唇めがけて顔を近づける佐為が、ぴたと動きを止めた。 「うっ……これは……」  佐為の背後に、温和な顔に笑顔を乗せた宇月が立っていた。しかし、目はまるで笑っていない。印を結び、術で佐為を縛っているのである。 「もう、あなた達、いい加減にするでござんす」 「……く、苦しいよ、宇月……」  佐為は千珠に顔を近づけた格好のまま、そう呻いた。千珠は最早眠ってしまっているらしく、平和な寝息を立てていた。  宇月は手印を解かずに、舜海をきっと睨んだ。睨まれた当の本人はびくっとして、動きを止める。 「な、なに?」 「舜海さま、千珠さまを寝かせてきてくださいな」 「はぁ?そんなもん、お前がやれば……」 「私は佐為のお仕置きをするでござんすよ」 と、宇月は赤ら顔の佐為を見下ろした。  舜海はやれやれと呟きながら頷くと、佐為の下にいる千珠をずるりと引っ張り出して、脇に抱えた。その後すぐに術を解かれ、佐為はそのまま床に顔をぶつけて呻く。 「いたたた、酷いなぁ宇月は……」 「全く、すぐ調子に乗って」 「だって……」  宇月に叱られている佐為と、それを眺めて笑っている業平や柊たちを見てから、舜海は千珠を離れへと運んでゆく。

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