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三、光政と舜海

 その日の夜、舜海は光政の自室へと呼ばれていた。  千珠と舜海が満月の夜に会わないでいるようになったことは、光政も知っている。 「殿、俺です」 「おう、入れ」  舜海の呼びかけに、光政は気軽な声が返ってくる。襖を開けると、寛いだ格好の光政が笑みを見せた。 「美しい月だ。一緒に呑まんかと思ってな」 「……ええですね」  舜海もにっと笑うと、光政の横に座って空を見上げた。光政の自室は、天守閣の真下にある。そこはいつでも眺めが良く、戦が始まるまでは何度となくここで酒を飲み交わしていたものだ。  夕立の後の澄んだ空は、いつもより月が大きく見えるようだった。  星の明さえも鈍らせるように燦然と輝く大きな月の下、二人は酒を酌み交わす。 「お前がこっちに帰ってから、ずっと話をしたいと思っていた。都のこととかな」 「ああ……。殿はここのとこ随分忙しくしてはるもんなぁ」 「そうなのだ。唯輝が隠居してからというもの、気は楽になったが仕事は増えてな」  光政は珍しく、重臣たちの名を出して苦笑しつつ日々の多忙についての愚痴を漏らしている。しかしその表情は穏やかで、満ち足りているように見えた。    舜海は、都での修行の話などを光政に面白おかしく話して聞かせた。光政は楽しげに舜海の話を聞き、声を立てて笑いながら酒を飲んでいる。  久し振りに、幼馴染の気安さが戻ってきたような感じがしていた。二人は主従関係にあるが、二十年以上の友人でもあるのだ。 「お前もそろそろ、妻を娶る気にはならんか?」  舜海のかつての女の話などをしていた流れで、光政はそんな事を言い出した。舜海は口に持っていく盃を途中で止めた。 「俺は、紗代と桜姫との間に子どもが生まれて、ようやくひとつ、務めが済んだような気がしたんだ」 「務め?」 「跡取りをもうけて、この血を次へと受け継ぐことだ」 「なるほどなぁ……」 「お前はもう、立派にこの国の重臣だ。なくてはならない存在だ。所帯を持って、落ち着いてみるのはどうかと思ってな」  光政は笑みを浮かべ、舜海に酒を注ぐ。舜海は、ぴんと来ないような顔をして、注がれる透明の液体を見ていた。 「……それもええかもしれへんなぁ」 「本当か?」 「でも……な」  はっきりしない舜海の態度を、光政はじっと見つめて、ぽつりと言った。 「千珠のことか」 「……ああ」 「俺は、あまり詳しいことは知らぬが……随分とお前は千珠に入れ込んでいるようだな」 「……どうかしてると思ってる。殿になら、分かるやろ」 「……うん、まぁ……そうだな」  光政もかつては千珠と深い関係であったが、終戦の折、光政と青葉国のためを想った千珠により、その想いは断ち切られた。要するに、振られたのだ。 「あぁ、分かる。あの時は、お前に怒りすら感じてしまったよ。ははは、若かったな」  光政はからりと笑った。 「ああもきっぱりと振られてしまっては、こちらも立つ瀬がないよ。それに、戦の時にあいつに甘えたのは俺だからな」 「すぐには諦めきれへんかったやろ。殿のことは、目を見てりゃ分かる」 「……まぁな。手を伸ばせば届くところにいるんだから、どうしてもな。妻や側室を抱きながら、あいつのことを想うこともしばしばだった」 「よう諦めがついたな」 「子どもが出来れば否応なくそうなる。それに、千珠には数多の人殺しをさせたという罪悪感もあった。だからな、あいつの笑顔を見ることが増えるたび、それで幸せだったのさ」  光政はふと、目を閉じた。 「それだけじゃない。戦の最中、俺は半ば無理矢理千珠を抱いたのだ。まだ子どもだったあいつを」 「へぇ……。そうなんや」  舜海は、やや驚いたように光政の横顔を見つめ、目を瞬いた。光政に強引に抱かれる千珠の姿をふと想像してしまい、舜海は慌ててその妄想を頭の隅へと追いやった。  思えば、光政こそが初めて千珠の身体を開いた男なのだ。そう思うと、やや妬ける。 「……まぁそれはさておき、お前が千珠を忘れてしまいたいと思うのなら、現実的に場を整えてもいいと思っているということだ」 「せやなぁ」  舜海はぼりぼりと頭をかいて、ごろんと仰向けになった。真上に昇った白い月が、美しい。 「……最初は、ただあいつの身体がよくて、それで抱いてるだけやった。それに、いつも力では勝ち目のないあいつを、屈服させるのも快感だった」 「ほう」 「でも、いつくらいやろうな……。いつもみたいに、街で女に誘われてな。そのままその女抱いたろうと思ってんけど、全然ようなくてな」 「……」  光政は無言で頷く。 「千珠は、きれいやろ。顔も、声も動きも、その辺の女よりずっと色っぽい。でもそれはそれで、俺は女が好きなんやって思ってた。……でも、兼胤との騒動の少し前くらいからかな、抱きたいと思うのは千珠だけになってた」  美しい月と美味な酒に酔い、幼馴染の光政相手という気安さから、舜海は饒舌に胸のうちを語っていた。こんな話は、酔っていないとできないし、光政にしか分からない話でもある。 「普段生意気やから、満月の時くらいは泣かしたろう、ぐらいの気持ちであいつを抱いてたのに……。千珠に触れて、抱きしめると胸が苦しくなった。本気で大事やって思った。愛おしいって……」  舜海は言葉を切った。  胸がつかえて、声が出なかったのだ。 「お前……」  と、光政の驚いた声。  舜海の目から、一筋の涙が流れ落ちていた。  ぼんやりと空を見上げながら、舜海は泣いている。 「……あれ、なんで涙」  舜海はぐいっと目をこする。 「馬鹿だな、お前も……。泣くほどに愛おしいなら、なぜその気持ちを伝えない」  光政は穏やかに微笑みながら、呆れたようにそう言った。 「あいつは……人間の情念に巻き込まれたくないって言うてたやろ。……こんな、まさか俺がこんな重たい気持ち抱えながらあいつのこと抱いとるなんて知られたら、千珠は俺から離れていってしまうかもしれへん」 「でも……」 「それなら、こっちから距離置いたほうがまだましや。せやし、これでいいねん」 「……馬鹿な男だな、お前も」  舜海は鼻をすすり、寝転んだまま光政を見上げる。 「まぁ、殿もさんざん我慢したんやろ?次は俺が我慢する番やな」 「……五月蝿いな」  光政はやや顔を赤らめる。 「俺には霊力なんてものはないし、あいつの乾きを埋めることはできなんだが。お前は今でも、千珠に必要とされることがあるだろう?」 「まぁな。……でも、それももうすぐなくなるやろ。あいつはちゃんと、自分の力と向き合えてるんやから」 「そう、か」 「……僧侶のくせに戦に出て人を斬って、男に……しかも鬼に惚れて。救いようがない阿呆や、俺は」 「よく分かってるじゃないか」 「はは。……青葉の坊さんからも、そろそろ寺を継いでくれんかと言われとるし……」 「え?お前、寺に戻るというのか?」 「……いや、まぁ……その内な」 「……全くお前は。どこまでも不器用な男だ」 「はははは。まったくや」  舜海は自嘲気味にそう言うと、からからと笑った。  ――そう、俺にはそんな生き方もある。千珠と離れ、俗世と離れて仏に仕えるという道も……。  ずっと突っぱねていた生き方ではあるが、戦が終わった今、人を斬る必要もなくなった。愛する国を護るために剣を取り、殺生という不義を行い続けた償いをする時期がきたのかもしれない。    ――そうすれば、自然と忘れてゆくかもしれん。  千珠を愛したことさえも。

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