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十、出奔
あまりに二人の戻りが遅いので、柊は廃寺へと向かって走っていた。
朽ちかけた本堂の周りはすでに暗く、不気味なほどに静かである。柊はゆっくりと堂に近寄っていく。
「……?」
人の動いているような気配がない。柊はそっと、開け放たれていた扉から中を覗く。
「舜海!」
扉から漏れいる僅かな明るさの中、倒れている男が見えた。柊は慌てて駆け寄ると、うつ伏せに倒れている舜海の肩を揺らした。
「おい!どうした!千珠さまは!?」
「……う……」
首の後ろを押さえて、舜海がゆっくりと起き上がる。そしてそれと同時に激しく咳き込んだ。柊はその背をさすりながら、じっと舜海の意識がはっきりするのを待った。
舜海は頭を振り、はっとしたようにあたりを見回した。
「……千珠。……おい!千珠は帰ってないんか?」
「お前らが遅いから、見に来てん。一体どうした、これ……千珠さまにやられたんか?」
「ああ……」
ふと、夕暮れ時の風景が脳裏に蘇る。橙色の光の中、自分を見つめる千珠の静かな瞳。その後に襲ってきた衝撃。
――ごめんな……。
「あいつ、一人で能登へ行ったんちゃうやろうか」
「え?一人でだと」
「封印術をかけ直してから、雷燕の話をしたんや。頭痛が治ったら考える……なんてやる気のなさそうなこと言っててんけど……」
「……その様子だと、千珠さまの気は高まったようやな」
柊は、黒い法衣を背に引っ掛けただけの舜海の成りを見て、そう言った。舜海は慌てて衣を正す。
「ああ、やった」
「動けるようになって、能登へ行こうと思ったんか。でも、何で一人で……」
舜海はよろりと立ち上がって刀を取り上げると、腰に差した。
「あいつ、俺に向かって刀を抜いた。人の中で生きることに疲れた……って言ってた。自分を巻き込むなともな。夜顔の気に引きずられてそんなことを言ってるんやって思ってたけど、あいつ自身にそういう気持ちがあったんかもしれへん」
「そんな」
柊は少し傷ついたような顔をする。舜海は唇を噛み締めると、気を引き締めるように顔を上げた。
「千珠を追うぞ。連れ戻す」
「ああ、行こう」
舜海のきっぱりとした口調に、柊も頷いた。
✿
二人から千珠が消えたことを聞いた光政は、肩を揺らして驚いていた。
この四年で、すっかり青葉に落ち着いたかに見えた千珠が、そんな行動を取ることが信じられなかったようだ。
――あんなにも孤独に怯えていたのに。たった一人で、危険な場所へ……?
「……一体、何故」
「雷燕の影響だとは思う。その雷燕を、一体どうしようというのかは分かりかねるが」
と、舜海は言った。
「陰陽師衆からは、千珠を寄越すなと言われていたのだが……大丈夫だろうか」
光政は立ち上がって腕を組み、窓の方へ歩いて夜空を見上げた。
「あいつなら、大丈夫ですよ。俺らもすぐに後を追う」
「……ああ。頼む」
光政は二人を振り返り、苦い表情でそう言った。柊は心配そうに光政を見上げる。
「どうしはったんです?えらい、おつらそうな」
「……何だかな、胸騒ぎがしていかんのだ」
光政は少し欠けてきた月を見上げた。
「あいつが、もう戻らないような気がしてな」
「そんなこと絶対にさせへん!俺らがちゃんと連れ帰る!殿は心配せんと待っといたらええ」
光政の呟きに、舜海はいきり立ってそう言った。立ち上がると、舜海は光政の前にずかずかと歩み寄る。
「あんたらしくもない。しゃきっと俺らに命令せぇ!」
舜海のまっすぐな目に見据えられ、光政は少し驚いた表情を浮かべていたが、ふっと微笑む。
「お前。昨日の泣きべそはなんだったんだ?」
「……ぐ」
光政は意地悪く笑うと、舜海の肩を叩いた。そして柊にも目をやると、よく通る声で二人に命じる。
「千珠を連れ戻せ。必ず皆で帰ってこい、いいな」
「はっ!」
「おう!」
舜海と柊は、張りのある声で応じた。
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