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二十七、柊の回想

 柊は屋敷の屋根の上に立って、辺りを見張っていた。  ふらりと出て行った舜海が、しばらくして戻ってくるのを見届けたところであった。 「千珠さまは、戻られませんね」  屋敷の周辺を見回っていた朝飛が、どこからともなく現れ、たっと軽い音をさせて柊の横に立つ。 「こっちは異常ありません」 「そうか。闇夜に紛れて襲ってくるってことはなさそうやな。ここも結界が張ってあるというし」 「不思議な術を使う者たちですね」 「ああ、お前はこの手の仕事に同行するのは初めてやったな」 「はい。こんな世界があるなど……知りもしませんでした」 「そうやんな」  朝飛には、妖たちが見えない。  自分には霊力などないということは柊にも分かっていたが、千珠のそばにいることが多かった影響だろうか、空気のようにふわふわと浮かぶおかしな生き物や、あやしげななりをした明らかに人ではないものが見えるようになっていた。  当然、雷燕の姿も。 「雷燕は……黒い妖は見えたんか?」 「……うっすらと、黒い煙のようなものが見えました」 「そうか。陰陽師衆はあれをこの地に眠らせようとしているんや」 「……なるほど。姿は見えへんかったけど、何だかとてつもなく嫌な感じはしました。恐ろしいというか……不気味というか……」 「それだけ感じていたら大丈夫やろ。……こういう場面で、俺らにできることは限られとる。それが歯がゆい」 「頭も、そんなこと思わはるんですね。僕以上に冷静なあなたやのに」 「……そうか?」  朝飛の言葉に、以前の自分のことを思い出す。  国を守るという大義。  それ以外に柊の目に映るものはなかった。戦で両親を失い、姉と共に祖父の元で修行に明け暮れた幼い頃から、国を守ることだけが柊にとっての生きる意味だった。  光政の妹・留衣を忍頭に推したのも、そちらのほうが動きやすいと思ったからだ。城主の妹君を従えるなど、柊にとっては煩わしい仕事が増えるだけのこと。  そんな折、千珠が現れた。  軍議の時、光政の隣に現れた白い子鬼。幼く美しい容姿をしているほんの子どもなのに、戦場を駆ける千珠の姿には圧倒された。とてつもない武力を得た、と柊は内心喜んだものだ。  しかしその後、千珠のことをただの武力と思ったことを恥じた。  千珠は自分と同じように、この国や光政を守ることに尽力してくれた。戦の終わった後も、千珠はずっとそこにいて、当たり前のように国を守ってくれていたから。  柊は今、千珠の役に立ちたいと思っている。能登の国ためというよりも、千珠のために。  柊はふっと、笑った。  ――舜海のこと、言われへんな……。 「頭?」 「いや、なんでもない。お前はどうしたい?何なら、このやり合いには加担せず、千珠さまを連れ帰るという命のみを遂行してもいいが」  朝飛は、口布を下げて柊を見上げた。少し間をおいて、朝飛は応えた。 「それもええですけどね。しかし、千珠さまがあの黒い妖にやられては、連れ帰ることはできません。僕も出ますよ」 「そうか」 「もっとも、相手が見えへんから、何ができるか分からへんけど……」 「そうだな。手立てがないか舜海に聞いてみよう。術式は明日の朝執り行うというし」 「はい」 「お前は動かないかと思ったけどな」  柊は腕を組んで、部下の顔を見下ろした。頭一つ分下にある朝飛の日に焼けた顔が、夜闇の中にぼんやりと見える。 「まぁ僕は、千珠さまとはこれといったご縁はありませんからね。竜胆や剣術稽古に来ている若者たちが、あんなに彼を慕っているという理由が、未だによく分からへん」 「……そうか」 「千珠さまが美しいのは認めます。まぁ、美しいからという理由だけで彼らが付いて行っているというわけでもなさそうやし」 「そらそうやな」 「今回の出来事で、僕は少し千珠さまに腹を立てていました。勝手に国を抜けるなんて、あってはならないことだ。わざわざこんな北国くんだりまで迎えを寄越させるなんて面倒なお人やなと……まぁそれはいいですが。でも……」 「ん?」 「千珠さまは、この地のためにあの黒い妖と戦うんですよね。これまで、青葉や都を守ってきたのと同じように」  朝飛はまた、柊を見上げる。 「僕が今回手を貸そうと思った理由は、それだけです」 「そうか、それで十分や」  柊は笑みを浮かべると、朝飛の肩を叩いた。夜の冷たい風が、二人の頭巾をはためかせる。 「何なら、今後は千珠さまと組ませてやろうか?」 「いいえ、結構です。きっと話が合いませんから」 「はは。そうか」  柊が笑っていると、千珠が屋敷に戻ってくるのが見えた。千珠の白い姿は、夜目にも分かりやすい。 「戻らはりましたね」 と、朝飛。 「ああ」 「舜海と何かしてはったんですかね」 「……」  柊は、黙ったまま口布を上げた。

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