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三十七、追憶

 楽しげな、子ども笑い声が聞こえる。  彼らの頭上には、軒下にかけられた一つの燕の巣があった。その中では数匹の黒い雛が、親鳥から餌をもらっては元気にさえずっている。  早く空を飛びたかった。軒下から見える細い空は、いつも青くてきれいだった。  その中を自由に飛ぶ親鳥の翼に憧れた。黒く、艷やかで美しい羽を、自分も早く羽ばたかせたかった。    ある日、初めて空を飛んだ。  ――あぁ、なんて気持ちがいいんだろう。なんて自由なんだろう。どこにでも行けるぞ!  どこまでも広い空の下を、歌いながら飛んだ。  たまには危なっかしく、地面すれすれに低く飛んだ。     ――あぁ、子どもがいる。自分たちに軒下を貸してくれた人間の子どもだ。    君たちは、空を飛べないの?  じゃあ、僕が代わりにいろんな物を見てきてあげる。そして、その気持ちを歌ってあげる。  だから、一緒に遊ぼう。  いつもと変わらず自分を見上げる子どもと、愛おしく我が子を見つめているそのふた親。楽しそうな笑顔、自分を追いかける子どもの無邪気な顔と声。    ――あぁ、楽しい。ずっとずっと、君たちに歌ってあげる。  ある日、不思議に思う。    ――何で、僕は死なないんだろう。  兄弟たちは、皆寿命を全うして死んでいってしまったのに。何故僕は、死なないんだろう。  寂しい。一人で居るのはとても寂しい。  ――そうだ、人間になろう!  人間の姿になれば、みんな僕を受け入れてくれる。  あの子どもに似せた姿になろう。あの子どもの兄弟に見えるかな。   『おや、子どもがこんなところで一人……危ないじゃないか』  あの頃僕を見上げていた子どもは、既に白髪のお爺さんになっていた。僕を見つけて、首を傾げて、優しく手を差し伸べるお爺さん。僕のことを、覚えてないの? 『お前は妖だね。一人ぼっちなのかい?こんなところで、一人で暮らしていくのかい?』 『おいで、こっちへ来て、その美しい歌声を聞かせておくれ』  そのお爺さんは、何度も僕と遊んでくれた。僕の歌を聞いてくれた。  その子どもも、その子どもも遊びに来た。一緒に歌って、一緒に走って、楽しくて、楽しくてたまらなかった。  笑っていた。  僕は笑っていたんだ。  彼らのために、その地を脅かすような妖たちを追い払った。彼らが笑って、平和に暮らしていけるように。  そうしているうちに、僕は自分が強いことが分かってきた。他のどんな妖よりも、僕は強いから。      しかし、人の一生というのは、なんと短い。  ――皆、僕を置いていってしまうんだな……。      寂しい、寂しいな。  悲しみの歌を、今日は歌おう。死んでしまった兄弟と、人間たちのために。  愛すべき、人間たちのために……。  ❀  千珠はじっと、目の前に立つ若い雷燕を見つめていた。  記憶がどっと頭の中に流れこんで、その切なさと美しさが千珠の瞳を揺らめかせた。  雷燕は艶やかな黒い羽を開いて、空を仰いだ。そこには、記憶の中と同じに青く透き通る空があった。   穏やかに、嬉しそうに笑うその顔には、今は憎しみの欠片もない。   ――あぁ……あの空。きれいだろう?  雷燕はにっこり笑って、千珠を見た。  千珠の黒く染まった目から、涙が零れた。それほどまでに、美しく青い空だ。 「ああ、きれいだ……」  雷燕は千珠に手を差し伸べると、その頬の涙を拭って微笑む。  ――ありがとう、鬼の子。  ――俺は、人を憎むことにもう疲れた。本当は、ただ寂しかっただけなんだ。ずっとずっと、彼らを守って、彼らのそばで生きていたかった。それだけだったんだよ……。  でも、この地で眠り、また目覚めた時には、戻れるかもしれない。  何の力も持たない、ただの小さな黒い燕に。    そうすればきっと、また楽しく歌えるだろう……。  雷燕の声が、段々と遠ざかる。  その姿も、徐々に光に透けるように消えていく。  ――ありがとう、千珠。傷つけてすまなかった。  ――また会おう、紅玉よ。お前は、私のようにはなってくれるな。きっときっと……この地を守って…………。  世界を包み込んでいた金色の光が、薄れてゆく。  空に吸い込まれていく光を見上げると、その中に雷燕の黒い翼が見えた気がした。  (あま)の使いのように、空に登っていくその美しい姿が。

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