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三十八、弔い
ばたばたと、陰陽師衆が力を使い果たしてその場に倒れていくのが目の端に見える。
千珠は我に返ると、急いで山吹に駆け寄った。
「山吹!」
ぐったりと血まみれになって倒れている山吹の傷は深い。胸から腹にかけて、雷燕の爪がざっくりとその身体を切り裂いている。
「……ひどい……!」
鎖帷子も意味をなさず、どくどくと溢れる血が止まらない。千珠は険しい顔でその傷を手で押さえるが、どうにもならなかった。
「山吹!嘘だろ……お前が死ぬことなんかないのに……!!」
手が震えた。
自分の前に立ちはだかった山吹の細い背中と、あの凛とした声が耳にこだまする。
――山吹のおかげなのに……山吹の言葉のおかげで雷燕を止められたのに。なのに……!!
そっと、千珠の肩に誰かの手が添えられる。弾かれたように振り返ると、そこには穏やかに微笑む藤原業平が立っていた。
「業平殿……!」
業平はいつもの様ににっこりと笑うと、山吹の横に座り込んだ。そして、その身体の上に手をかざすと、片手で印を結ぶ。
「陰陽、時空封印」
その言葉と共に、山吹の血が止まる。業平が手を上げると、ばらばらと数人の陰陽師が駆け寄ってきた。手際よく山吹の身体を戸板の上に動かすと、素早くどこかへ運びさっていった。
「あれは応急処置なのでね、ちゃんと傷の手当をしよう。彼女が一番重症だ」
「業平殿、どうしてここに……?」
「嫌な感じがしてね、風春たちに応援部隊を送った後も、どうも胸騒ぎが止まらず、追いかけてきたのだよ」
業平は爽やかににっこりと笑うと、千珠にも周りを見るように目線で促す。
術式を行なっていた陰陽師を労う、新たな黒装束の男たち。柊や朝飛に手を貸して、元気に立ちまわる黒装束の仲間たちが見えた。
千珠は安堵して、ふらりと身体をよろけさせた。
「おっと」
業平はそんな千珠の身体を支えると、黒髪と黒い目をした千珠をしげしげと見つめた。そして、その体の傷にも目を留める。
「君も手当を受けないと。その腹の傷と胸の傷、一度心臓が止まったようだし」
「……今俺は、夜顔の気で動いているようです。これなら傷も、すぐに癒えるかと……」
「馬鹿をお言いよ。その気でひどく身体中痛めつけられてたんじゃないのかい?」
紅玉が千珠のそばに立っていた。業平はそんな紅玉の姿に目を丸くする。
「約束だよ、その気はあたしがもらうってね」
紅玉は腰に手を当て、ふうっと派手に煙を吐いた。
「……ありがとう、紅玉」
千珠は微笑んで、紅玉を見上げた。紅玉はまたぱっと顔を赤らめると、目をそらして煙管をぷかぷかとふかす。
「あたしはあいつに託された。この土地も、あたしがまとめて面倒見ておいてやるよ」
「……ああ」
安堵した瞬間、どくん!と千珠の心臓が跳ねた。思わず胸を押さえる。
また、あの感覚。消えない憎悪の炎が、千珠の身体の中を焼くような痛みだ。
「ほぅら、言わんこっちゃない」
苦悶の表情を浮かべる千珠のそばに膝をつくと、紅玉はその顔を覗きこみ、にいと笑った。
「その気は、あんたには強すぎるんだよ。あたしがもらっといてやる」
「……すまん」
紅玉は華やかに笑うと、千珠の胸の上に手を当てた。思いの外暖かい紅玉の掌に、ぐいぐいと夜顔の気が引きこまれていくのを感じた。
すると途端に、千珠の身体から力が抜けていく。
ふら、と千珠の身体が傾いだのを、業平は慌てて抱きとめた。そして紅玉をじっと見つめ、頭を下げる。
「私は陰陽師衆が棟梁、藤原業平と申す者。この度は、本当世話になりました。それに、千珠さまを助けていただいて、本当にありがとう」
「あんたがあいつらの親玉かい?そんなやつが妖に礼なんか言っていいのかね」
千珠から手を離した紅玉は、小馬鹿にしたようにそう言いながらも、笑顔を浮かべる。
「なに、この国を守るのに、人も妖も関係なかろう」
「ふん、そうかい。ま、あたしもいい暇つぶしになったよ。はやく千珠の気を高めてやりな。本当に死んじまうよ」
紅玉はぷいと業平から顔を背けると、海を見渡せる崖の方へと歩いて行き、そこにふわりと座り込んだ。
そして、雷燕の弔うように、ふっと空に紫煙を吐く。
「おや、すっかり晴れてきたね」
どんよりと灰色だった空が、みるみるうちに晴れた青空へと変わっていく。
紅玉は一人、目を細めて笑った。
――見てるかい?雷燕。
あんたが見たがってた空は、こういう色だったのかねぇ……?
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