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二十三、算段
三津国城には、多くの者が住まっている。
城主大江光政とその近親の者、腹臣の家族、軍部の中心である忍衆、武士たちによって組織される城の護衛団である近衛衆、彼らの世話をする丁稚奉公、雑仕女たち。
その他にも、昼間は城下から通いで政を行いにやってくる家臣たち、武器商、仕立屋等代々出入りの行商人たち、城下かから食品を振売にやってくる町人たち……数え上げるときりがないが、皆それぞれが世襲制をとってきているため顔を見知っており、互いを知らぬものはほとんど居ない。
雑踏に紛れて城に侵入できないかと調べていた水無瀬楓真は、それが不可能に近いということをそこで知った。皆が愛想よく挨拶を交わし、無駄口を叩いて世間話に花を咲かせる……彼らの話題は親しいものたちのうわさ話が多く、自分たちがそこに入り込み、演じ切ることはできないと判断した。
式を飛ばせば感づかれる。そのため、楓真は霊力を抑えてしばしばこの付近をうろついた。こればかりは誰かにやらせるわけにもいかない、自分の目で確かめなければならぬ。
編笠をかぶり、町人風の装いに身を包みながら、楓真はじっと城の様子を伺っていたのだ。
これは半年ほど前の話であった。
そこへ、都の方へ赴いていた妹の琴から、面白い情報を得た。
――陰陽師衆の中で、不穏な動きをしている子どもが一人いる、ということ。
自分たちが不穏分子なのだ、同じような動きをしているものは否応なく目に付く。楓真は一旦青葉から引き上げると、都で琴と草堂に合流した。
二人はすでにその子供のことをかなり調べあげており、その経歴に楓真は笑った。
使える。
誂えたようにいい時期に現れてくれたものだ、何と素晴らしい、と笑みがこぼれた。
楓真はすぐに、陰陽寮から月に一度生家へと戻っていくその子どもに声をかけた。
――お前、なにか恨みごとがあるんじゃないのか?
そう声をかけた時の、あの子どもの驚いた顔、そしてどことなくほっとしたような顔は忘れられない。その子どもこそが、須磨浮丸だった。
浮丸をこちらの動かしやすい駒とするために、色々と話を考えた。子どもと思っていたが、浮丸は小柄なだけですでに十七、簡単な騙し文句では動かない。
――お前の敵、夜顔という半妖の化物は生きているよ。何故かって?あの天下の英雄、千珠さまがお優しくも逃がしてやったからだ。
だってあいつも半妖、夜顔は仲間だ。人間よりも、仲間を取ったのさ。
あんな危険な化物を、この世に放つなんてどうかしてると思わねぇか?
どうだい、俺達はあの千珠さまを、もっと人間の言うことをきくようにしつけ直してやろうと思ってるんだ。
んなことできるわけ無いって?できるんだよな、俺達は能登の祓い人だからな……。
俺たち祓い人が、陰陽師衆と敵対しているのは分かっている。でもな、お前はその陰陽師衆にも恨みがあるんだろ?
弟のこと、まるでなかったことのようにしているあいつらが、憎たらしくてたまらないんだろう?
千珠さまに味方していいようにされているあいつらが、情けないんだろう?
だったら、俺達に協力して、俺達と来い。
千珠さまをしつけ直したら、夜顔をぶっ殺してやるよ。
俺たちが、千珠さまを使役する立場になるんだからな……。
浮丸は青い顔をしたまま、じっと楓真の話を聞いていた。ぎゅっと握りしめられた拳が、白くなって震えていた。
迷う時間を与え、楓真は浮丸を放した。
ひと月後に会った時、浮丸は夜顔を殺すことを条件に、楓真に協力することを約束した。
ひとつ、英嶺山僧兵の呪詛を探し、その術式を写し取ってくること。
ふたつ、近々一ノ瀬佐為が青葉へ出向く。その時に、何とかして護衛に紛れ込むこと。
楓真はそう浮丸に命じて、都を後にした。
さらに三月後。
浮丸はどちらもやってのけた。
楓真は腹の中では歓喜に大笑いしながらも、浮丸の前では神妙に、信頼に足る人物であると思い込ませるよう誠実に振る舞い、英嶺山の呪詛を受け取った。これさえあれば、千珠を如何様にもできる切り札になる。
そして今夜。
楓真は紅い襟巻きをはためかせながら、時を待っていた。
もうすぐ子の刻。満月は高く頭上に登り、あたりを明るく照らしている。たまに流れてくる雲の塊が、ふっとその明かりを遮ることもあったが、遠くまで見通せるような、明るい夜だった。
楓真、草堂、琴は三津国城の北側にある裏山に潜み、じっと眠りに沈んでいく黒い城を見つめていた。
もうすぐ、浮丸が結界を裏返す。
結界を裏返してしまえば、外からは何が起こっているか分からず、中から外に出ることは容易にはならない。かけた術者ですらそれが裏返ったことには気づきにくい。
楓真はにんまりと笑った。
ふ……と月のあかりが雲に隠れた。
その時、三津国城が玉虫色の薄い膜に包まれたような光に包まれ、一瞬にして様相を変えた。まるで空間ごと切り取られて、巨大な生簀の中にでも閉じ込められたかのように見える。優美な佇まいの城は闇に沈み込み、月明かりもその中には差し込まない。そこだけ夜闇が濃く、重たい空気が包み込んでいる。
「……裏返ったな」
と、草堂。
「よし、ではまずは煙状痺れ薬を結界内に流すぞ。強めに作ってあるだろうな、琴」
「はい」
「よし、行くぞ」
三人は斜面を滑り降り、城の裏手へと着地する。琴が懐から取り出した一枚の札を北側の城壁に貼り付けると、そこに手を押し付けて詠唱する。
「風穴!」
玉虫色の結界がかすかに震え、そこに小さな黒い空洞が穿たれる。実際に城壁に穴が開いている訳ではないのに、ひゅうひゅうとその中に空気が流れ込んでいく。琴は更に懐から小さな煙玉のようなものを出すと、兄に手渡した。
楓真はそれを城壁に勢い良く擦りつけて火をつけると、ぽいぽいと続けざまにそれを中に投げ込む。もうもうと煙を上げながら暗闇を転がり落ちていく煙玉を見下ろして、楓真は頷いた。
「印!」
琴が手を離すと、ぶおん、と空気を震わす音とともに黒い穴が消えた。それと同時に、もくもくと城の中に白い煙が充満し始める。
城を取り囲む結界の中が、みるみる白く濁っていく。まるで白い椀でも被せてしまったかのような眺めに、楓真は満足気に笑った。
「はははっ、何と酔狂な眺めだろうな。お前ら、毒消しを飲んでおけ。口布を忘れるなよ」
「分かってる。どっから入る?」
と、草堂は言われたように支度をしつつ、楓真に尋ねた。
「もちろん、こっからさ。浮丸の貼りつけた札がこの裏にある。そこが道だ」
「あの子はどうする。本当に連れていくの?」
と、琴も髪を結い上げ、口布を巻きながらそう尋ねた。
「んなわけねぇだろ。足手まといだ。きっとこの痺れ薬で動けぬまま、あの冷徹な一ノ瀬佐為に殺られて終いさ」
「……そ。ならいいんだけど」
「俺たちは俺達の血のものしか信じない。よそ者を入れるわけがなかろう」
と、草堂は衣の裾を引き絞りながらそう言う。琴は冷ややかに草堂を見やり、何も言わずに編み笠をかぶった。
やがて天守閣までもが白い煙に覆い尽くされた。
楓真はにやりと笑い、口布を上げ襟巻きをぐいと強く巻きつける。
「さぁて、狩りの時間だ」
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