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二十四、白い靄

 普段ならば、誰もが眠りに沈でいるはずの子の刻。  千珠は、宇月、柊とともに行灯の光を見つめていた。  いつものように、宇月によって語られる人と妖との物語を心地よく聞きながら、千珠は立膝に顎を乗せてぼんやりしていた。   柊はうとうとしているのかただ目を閉じているのか分からないが、腕組みをしたままじっと微動だにしない。 「飛鳥時代のこの事件より、人と妖の関係は……神と……その地……」  先ほどまで流れるように話をしていた宇月の声が、急に乱れる。千珠は怪訝に思い、顔を上げた。  その途端、宇月の身体ゆっくりと傾く。千珠は慌ててその身体を抱きとめた。 「なんだ?話しながら寝ているのか……?」  宇月は目を閉じて、身体を微かに痙攣させている。千珠は眉を寄せて、柊を見た。 「なぁ、宇月の様子がへん……」  どさ、と重い音を立てて柊が前のめりに倒れた。千珠は息を呑み、宇月をそこにゆっくりと横たえると、柊のもとに近づいた。 「おい、どうしたんだ!?柊!?」  固く目を閉じ、宇月と同じく身体を痙攣させているその姿に、千珠は異常を悟った。  床の間に置いてある日本刀を着流しの衣の帯に指すと、ゆっくりと外の気配を窺う。 「……なんだこれは」  薄く開いた唐紙の隙間から、どっと白い煙が流れこむ。宇月も柊も、これを吸い込んだに違いない。千珠は忍装束の口布を取り出して自分の鼻と口を覆うと、さっと外に出てすぐに唐紙を閉じた。  城内はどこもかしこも真っ白だ。濃い濃い霧に包まれて、文字通り一寸先も見えない。たまに辺りが少しばかり明るくなるのは、月あかりのせいだろう。  千珠はじりじりとあたりを窺いながらゆっくりと歩を進める。  ――佐為は、舜海は?あいつらなら、きっとまだ意識を保っているに違いない。  千珠は南側にある離れの屋敷へと急いだ。しかしその霧は、千珠の目を容赦なく曇らせる。目に滲みるその痛みに、千珠はごしごしと目をこすりながら急ぎ足で歩いた。 「一体誰がこんなことを……」  自分は今、何の力もないただの人間だ。どこぞでその情報を得ていた者が、こうして襲ってきているとしたら……。  鬼の力はない。だから英嶺山の呪詛はきかない。  それでも、今のこの無防備な状態は非常に危険だ。数人でかかって来られたら終いである。  早く……舜海に合流しなければ。俺を探していないのか……?  佐為は、どうしてる。あいつほどの嗅覚を持っていれば、こんなもの予め分かったろうに……。  どこまで進んでもしんと静まり返った城の中はひどく不気味だった。ただでさえ薄暗い城の中が、白い霧に覆われて、何も見えない。  仕方なく危険を承知で外を進む。裸足でひたひたと庭を横切っていると、今にも誰かが背後から飛びかかってきそうで怖かった。  ――情けない……!しっかりしろ!  千珠は目を細めて歩を進める。冷たい汗が、背中を伝う。  ――早く……誰かと合流しなければ……。一人ではいたくない……。  その時、ざっと千珠を数人の人の気配が取り囲んだ。  千珠ははっとして、ピタリと立ち止まり、素早く刀を抜く。 「……誰だ」  自分の声が、なんともいえず頼りなく響く。震えているのだ。手にじっとりと汗をかいていることに、千珠は軽く舌打ちをする。 「これはこれは、なんともおいたわしいお姿。妖気を一つも感じませんな」  大仰に抑揚をつけた男の声がして、千珠はさっと声の方へ切っ先を向ける。白い霧の向こうから、すらりとした黒い影が近づいてくるのが見えた。 「誰だ!?この……」  千珠は迷わずその影に飛び込んで斬りつける。しかしそこには何の手応えもなく、その影はゆらりと掻き消すように消えてしまった。 「!」 「封縛!!」  突如、千珠の身体をぐるぐると黒い荒縄のようなものが締め付ける。肩も、腰も、首もぐるぐると雁字搦めにされ、千珠は思わず日本刀を取り落とした。がしゃん、と砂利の上に転がる刀が、きらりと光って見えなくなる。霧の下に消えていってしまったのだ。    ――しまった……! 「……何だ、お前らは……」  さあっと霧の中が明るくなり、月が顔を出したことが分かった。薄ぼんやりとした霧の中で、誰かが自分の前に立ちはだかるのが見える。  緋色の襟巻きを巻いた、背の高い男が立っていた。吊り上がった冷ややかな目には、ゆらゆらと残忍な色が揺れている。くくっと低く笑う声が聞こえた。 「震えているではないですか。千珠殿」 「……お前は……、誰だ」 「俺は能登の祓い人、水無瀬楓真と申す者。青葉の白い鬼、千珠殿を貰い受けに参った」  きっぱりとした口調でそう言った男を、千珠は愕然とした思いで見上げる。  ――え……?一体何を言っているというのだ……この男は。 「これからあなたには我々の術に下り、今後一生、我らの命で動く式となっていただく」 「なんだと……!そんな事、出来るものか!」 「震えたお声で凄まれても、何も恐ろしくはありませぬよ、千珠殿」  男は目だけで笑ってみせると、千珠の顎を掴んで口布を下げた。濃い霧が鼻や口から直接流れこみ、千珠はごほごほと咳き込む。そんな様子を悦に入った表情で見下ろす男は、含み笑いをしてまた目を細めた。 「……美しい。御噂通りの、お美しさよ」 「……だ、だまれ……!誰がお前らなんか……に……!」  息苦しさと闘いながら、千珠は強がってみせる。しかし、心底恐怖していた。  この身体を縛る術、まるで解ける気がしない。そして背後にいる二人からも、ぞっとするようなおぞましい霊気を感じる。  ――人間には違いないというのに、この禍々しさ。こいつらは本気で俺を……。   「なんとまぁ可愛らしい。強がっている姿もそそられまするな、千珠殿。我もとへ来た暁には、毎晩のように可愛がって差し上げましょう」 「な、なにを……」 「青葉の城主様をも搦めとる妖艶さ……早く見てみたいものですな。きっといい声で鳴かれるのでしょう、あなたは」 「……おぞましいことを言うな!」 「意外と元気だな、もっと締めるか?」 と、背後からもっとどすの利いた低い声が聞こえてくる。その声からして、千珠の二回りは体躯が大きいであろうことが伺われ、千珠はまたぞっとした。 「そうだな。やれ」  ぎりぎり、と更に荒縄が千珠の身体を締め付ける。首にも巻きついたその縄が、千珠の呼吸を邪魔し始めた。 「が……がはっ……あっ……!!」 「首を絞めたら死んでしまうわよ」 と、今度は冷たい女の声がする。千珠は必死で呼吸をしながら、その声の方を振り向いた。  目の前にいる男と同じ目をした女が立っていた。冷ややかな、まるで汚いものを見るような目つきで見据えられ、千珠は息を呑む。ふらついて膝をつくと、その女は目だけ動かして千珠を見下した。その瞳には何の感情も映ってはいないように見え、ひどく不気味だった。 「はぁっ……はぁっ……!やめろ……!」 「ちょっと締め過ぎじゃねぇか。もういい、術をかけよう」  楓真と名乗った男は急にぞんざいな口調になると、懐から鈍色に光る鎖のようなものを取り出した。ぐいと千珠の髪の毛を掴むと、無理矢理に上を向かせてぐらぐらとその身体を揺さぶった。 「たかだか白珞族の子鬼が、この人の世の英雄になるとは。人間にいいように利用され、勘違いして奢ったな」  憎々しげにそんな事を言われ、千珠は目を見開いた。徐々に痺れていく身体から、力が抜けていく。  崩れ落ちそうになった千珠の身体を、髪の毛を掴んでもう一度引き起こすと、楓真は重たい鎖を千珠の首にかけた。氷のように冷たく、重たい鎖が首に巻き付くことに抵抗もできず、千珠はぽろりと涙を流した。 「怖いか?これからお前にどんな人生が待っているか想像するがいい。俺に使役され、人を殺し、俺にいたぶられ弄ばれる……どうだ。絶望しろ」 「……やめろ……」  背後から低い笑い声が響いてくる。 「俺たちはな、しょっちゅうお偉い方々に命令されるんだよ。あの面憎い輩を、誰にも分からぬように殺してくれ、とかな。昔は妖だけ狩ってりゃよかったのに、今はそんな事まで頼まれちまって、もう大忙しなんだ」 「……やめ……」  ぎりぎり、と千珠の首を締め付ける鎖が動きを止め、がちゃん、と鍵のかかるような音が響いた。楓真はにやりと笑い、千珠を地面に転がすと、その身体の上に馬乗りになり、千珠の首を締めている鎖の先端ををぐいと引っ張って顔を近づけた。 「さぁて、これでいい。仕上げだ」 「……っぐう……」  ――息ができない。苦しい……。  千珠は喘ぎながら、自分を見下ろす男の目を見あげた。冷ややかだった目は、今は興奮を伴ってぎらぎらと卑しく光っているように見え、千珠は恐怖した。 「俺に従うと、誓え。俺の名を呼ぶんだ。水無瀬、楓真さまってな」 「や……いやだ……!」 「そうすりゃ、この鎖はもちっと緩むぜ。一生お前の首から外れることはないがな」 「……ぃや……っだ!」 「強情な餓鬼だ。苦しいだろ、このまま死んでもいいのか?」 「……お前に……下るぐらいなら、死んだほうがましだ……!」 「おいおい、そんな事言っていいのか?お前が死んだら、光政殿もお亡くなりになるんだろう?俺たちがそれを知らないとでも?」 「……!」 「ほら、言えよ、俺の名を。水無瀬楓真様、って言ってみろ!おら!」 「いや……だ……っ」  首を横に振り、ぼろぼろと涙を流しながら抵抗する千珠に、楓真は溜息をついた。 「なんとまぁ、扇情的な」 「……おい、俺にやらせろよ」 と、背後にあった低い声が、興奮を含んだ声色でそう訴えた。楓真は草堂を見上げる。 「お前、未来の妻の前でなんという事を」 「いいわよ私は。関係ないもの」 と、女の声が淡々と響く。 「おい、いいだろ。お前の名前を言わせりゃいいんだろ?殺しちゃまずいんだ、犯して名を叫ばせるさ」 「……うっ……や……いやだ……!」  楓真はぽいと鎖を手放した。どさっと後頭部を砂利に打ち付けて、千珠は痛みに顔をしかめる。 「まぁいいか。なんだお前、もうそんなに興奮してんのか」 「だってよぉ、この黒髪に白い肌……それにこの顔。女みてぇだ。こんないい女見たことねぇ」 「馬鹿が、こいつは男だぞ」 「後ろからやりゃいいんだ。いや、こいつならどっちからでもいいや」  軽蔑するような目つきをした楓真が千珠から離れると、草堂は息を荒くして千珠の前に立った。大柄な男がぬっと影のように現れたことで、千珠は更に怯えた。 「や……いやだ!!嫌だ!!やめろ!!」 「名前を言えば、やめてやるぞ」 と、草堂は千珠の着流した衣の裾を割って、白い足を撫でる。 「おお……なんという艶やかな肌……女のものより滑らかだ……」  はぁはぁ……と呼吸を早めて、男が千珠の脚を開かせる。 「やめろ!!いや……いやだぁ!!」  じたばたと暴れたかったが、身体が痺れて言うことをきかない。男の指が下腹から腰、尻を撫で回すおぞましい感覚だけが、千珠の身体を駆け登る。 「俺の名前を言えばいいんだって」 と、千珠の頭上にしゃがみ込み、恐怖と苦悶に歪んだその顔を見下ろしながら楓真がそう言う。 「そうすりゃ、すぐにやめさせてやる。ほおら、どうする」 「悪趣味」 と、侮蔑を含んだ女の声がする。 「やだ……いやだ!!舜海……!舜海……!!」 「誰だ?それ。どうせそいつもおねんねしてるさ。もういいや、草堂、やっちまえ」 「おう、たまんねぇな、この身体……」  すでに隆々とそそり勃った男の根が、暴れる千珠の脚の間に擦り寄せられる。足首を掴まれて、無理矢理に大きく脚を開かされ、千珠は渾身の力を振り絞って抵抗した。しかし、そんな抵抗などまるで頓着せず、大柄な男は千珠の身体に侵入しようと腰を低くした。 「やっ……!やめろ!!いやだぁああああ!!!」

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