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三十四、きょうだい

 槐が長い眠りから目を覚ますと、離れの外が嫌に騒がしいことに気がついた。  目をこすりながら起き上がり、そっと唐紙を開けて外の様子を伺うと、外ではねじり鉢巻に揃いの半被を来た大工と思しき男たちが、えんやえんやと立ち働いているのが見える。  これから何かあるのかな……と、槐は寝着のまま縁側に出て、活気に満ちた男たちの働く姿を眺めた。  今日もいい天気だった。昼過ぎには都へと出立する今日は、兄と過ごす最後の時間でもある。次に会えるのは、一体何年後だろうか……そう考えると、今から涙が出そうになるほど寂しい。  槐はめそめそ涙しそうになる自分の心に喝を入れると、佐為を起こそうと隣の部屋の唐紙をそっと開いた。 「え?」  皆すでに黒装束に身を包み、四組敷かれた布団の上で出鱈目に寝転がって寝息を立てているのだ。壁に持たれて首をかっくりと折って眠っている立浪、掛け布団の上にうつ伏せになって眠り込んでいる淳之介、そしてそんな淳之介の背中を枕にしてすうすうと寝息を立てている佐為……。浮丸の姿が見えないことも、槐は怪訝に思って首をひねる。  それに、皆の袴の裾は白く土埃で汚れ、たった今仕事から帰ってそのまま寝入ってしまったといった様相である。 「……何かあったのかなぁ」  槐はそっと唐紙を閉じて呟いた。 「槐」 「あ、あに……千珠さま!」  懐手をして歩いてくる兄の姿を見つけ、槐は目を輝かせてそちらに駆け寄った。藍色の衣を着流している千珠は、今日も涼やかでとても美しい。長い銀髪を左肩の上だけにまとめて流しているので、白く長い首筋が顕になっている。その上に、赤い耳飾りがきらりと揺れて光った。 「よく眠れたか?」 「はい。でも……佐為さま達の様子が……」 「ああ、ちょっと夜仕事を頼んだもんだから、疲れているんだろ。出立まで寝かせてやってくれ」 「そうですか。分かりました」 「じゃあ朝餉を取りに行こうか」 「はい!兄上!あ……千珠さま」 「はははっ、いいよ、今は誰も居ないからそれでいい」 「はい、兄上」  千珠の白い手が、自分の頭を撫でる。くすぐったく照れくさいが、それはとても嬉しいことだ。強く美しい兄を見上げて、槐は誇らしい気持ちでいっぱいになる。 「出立まで、一緒にいてくださるのですか?」 「ああ、一緒にいるよ。何したい?」 「本当ですか!?やったぁ」  素直に喜んでくれる槐を見下ろして、千珠はにっこりと微笑んだ。何と可愛らしい弟だと、改めて思う。    ――弟、か。  浮丸も、実丸という弟を持っていた。ちょうど今の自分と同じように。  血を分けた兄弟を奪われる、ひどくつらい経験だったに違いない。それこそ、言葉巧みに近づいてくる大人には逆らえないほどに……。  槐と手をつないで城を歩きながら、千珠はぎゅっとその小さな手を少し強く握った。  それを感じて自分を見上げる槐のくりくりとした茶色い瞳を見下ろして、千珠はもう一度微笑む。  嬉しそうに跳ねながら歩く槐の手を握って、千珠は考えていた。  もうこれ以上、憎悪の連鎖を繋げぬために、自分がなすべきことは何であろうかと。  これから先、槐や、あの雪代という若者に、自分は一体何を伝えていけるのであろうか……と。

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