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十六、やきもき

 千珠が山を駆けて城へと戻ると、槐が城門の前に座り込んでいるのが見えた。  槐は石畳の階段に腰掛けて膝頭に片肘をつき、ぼんやりとしている。  千珠が音もなく槐の前に降り立つと、彼ははっとして千珠の白い姿を見上げた。そして、ぱっと満面の笑みを浮かべる。 「兄上!おかえりなさい」 「ただいま、槐。遅くなってすまなかったな」 「あの者は……?」 「彼は舜海のところに預けてきた。古い知り合いなのだ」 「そうでしたか。すみませぬ、そんな方に私は刃を……」 「いいよ。あの少年とて半妖の身、神祇官として当然の行動だ」 「……はい」  表情を曇らせていたもやがすっと晴れるように、槐は笑った。ほっとしたのだろう。千珠が槐の隣に座ると、槐も直ぐにまた腰を下ろした。 「お前、祝言をあげるらしいな。すまん、舜海から聞いてしまった」 「あ、いいえ……なかなか言い出す機がなくて」 「おめでとう。お前も一人前の男だな」 「ありがとうございます。兄上」  槐は少し頬を染めて、笑顔でそう言った。千珠は手を伸ばして、槐の頭に置いた。まるで幼い頃のように、槐は嬉しそうに笑う。  可愛い弟だ。自分を慕っているのが目に見えて分かる。  千珠は頭を撫でた手を槐の肩に回して、ぎゅっと抱き寄せた。ほんの子どもだと思っていた槐の体は、しっかりと鍛えられた芯があった。千珠よりもまだ少しばかり背は低いが、しっかりとした体躯に育っていることに気がつく。 「大きくなったな。出会った頃は、こんなに小さかったのに」 「もう二十ですよ、兄上。もっと……一緒に暮らせたら良かったのになぁ」 「なに、これからも会う機会はいくらでもある。父上にも珠緒を見せに行きたいし」 「そうですね、ものすごく喜ぶでしょうね」 「ああ、目に浮かぶな」  千珠の微笑みに、槐も笑みを返す。血の繋がりを確かめ合うように。 「さ、中へ入ろう。佐為が心配するんじゃないか?」 「まさか、佐為さまはもう酔って眠っておられますよ」 「はは、また絡み酒だったか」 「はい、それはもう……。兄上にもお見せしたかったです」 「いや……俺は人のこと言えないから」 と、千珠は苦笑して、槐を促し城門をくぐった。 「兄上とも、酒を酌み交わしたいものです」 「いや……俺、飲めないからさ。飲むとひどいらしいし」 「そうなんですか?」 「陰陽師衆の奴らに聞くなよ」 「あははは、明日聞いてみます」   楽しげにそう言う槐の顔が、子どもの頃の顔とだぶって見えた。  人は成長するものだ。きっと自分も、あの頃とは違う。  それ同様に、夜顔も成長している。心も、身体も……。 ――あの子は、真実を受け止めにここへ来たのだ。  槐と笑い合いながら、千珠は夜顔のことを思った。   ❀ 「千珠さま、おかえりなさい」  宇月はまだ起きていた。千珠が音もなく現れるのに驚くふうでもなく、にっこりと笑って迎え入れる。  気が緩む。千珠は微笑んで、宇月のそばに座り込んだ。 「珠緒は?」 「よく眠ってるでござんすよ。昼間しっかり、白蘭さま白露さまと遊んでもらったでござんすからね」 「そっか」  千珠は隣の部屋で眠る珠緒の顔を見に、そっと障子を開いた。暗い静かな部屋で、静かな寝息を立てる珠緒を見ていると、ぐるぐると回っていた思考が落ち着いてくるのを感じた。  珠緒の頬に触れると、柔らかく暖かい肌に安堵する。珠緒は、まるで白桃のような美しい肌をしている。起こさぬよう、静かに宇月のもとに戻ると、膝の上に書物を開いている宇月を背中からきゅっと抱きしめた。 「……どうしたのでござんすか」 「別に……」  相変わらず小柄な宇月の身体も、暖かい。子を産んですこしふくよかになった宇月の身体は、触れていてとても心地が良かった。宇月の髪の毛に頬を寄せて、千珠は息をついた。 「夜顔が、来た」 「やはり、そうでござんすか」 「感じたか?」 「はい、分かるでござんす。でも、昔とは比べ物にならないほどに、穏やかな気でござんすね」 「そうなんだよ、すっかり人間らしくなって。すごく嬉しかった」 「あの時の千珠さまの行いがあるからこそですよ」 「うん……」 「浮かない顔をしているのは、夜顔さまの過去のことで?」  宇月は千珠に向き直って座った。千珠はあぐらをかいて、行灯の日に照らされる宇月の顔を見つめる。 「うん、幼い頃のことを知りたいと言っている。……話してやろうと思っている」 「ええ、それがいいでしょう。千珠さまからお伝えするのが、良いかと思うでござんす」 「山吹にもそう言われたよ」 「そうでござんしょう」  宇月はにっこり笑って書物を閉じた。  千珠はもう一度宇月を正面から抱き寄せた。拒まれていた頃のことが懐かしくなるほどに、宇月は千珠の胸の中で安らかな顔をしていた。 「宇月……」  千珠は宇月にそっと口付ける。  大切な妻であり、ともに戦う仲間でもある宇月の存在は、千珠にとってかけがえのないものだ。 「大好きだよ、宇月……」 「千珠さま、珠緒が起きるでござんすよ……」  着物の合わせ目から太腿に手を差し込もうとする千珠の腕をやんわりと押さえながら、宇月は書物を取り落とした。  千珠は宇月に口付けを繰り返しながら、その言葉ごと飲み込んでしまう。  白く柔らかい太腿に手を滑らせながら、千珠は宇月を抱きしめた。 「宇月……」 「はい?」 「お前……また少し肉付きが良くなったんじゃないか……?」  音もなく、宇月の肘鉄が、千珠の鳩尾に炸裂した……。

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