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1.大晦(8)

 座布団を檻の前まで引きずっていき、その上に正座する。怪訝そうな表情の隆人に遥は訊ねた。 「毎年毎年、ここで何を考えていた?」 「いろいろだが、大したことは何もない。もっぱら早く終わればいいと思っていたな」 「腹減ったな、とかは?」  隆人が笑った。そして隆人も座布団を遥の前に移す。  囁くように訊ねられた。 「減ったのか?」 「当たり前だろう?」  遥は顔を(しか)めた。 「昨夜以来、何も食べてないんだから。もう昼だよな。これで二食抜いたことになる」 「丸一日抜いたくらいでは特に問題はない。昔に比べれば今はましだ。今は年が明ければ食べることが許されるが、以前は三が日が過ぎるまで、あの茶だけだったらしいぞ」 「ええ? そんなことしたらぶっ倒れるだろうに」  驚いた遥に隆人がうなずいた。 「ああ。だから何代か前の鳳が定めを変えた。だから俺たちは今日食べないだけで済む」  眉をひそめてしまった。 「定めって、本当にどんどん変えているんだな」 「鳳に都合良くな」  隆人も否定しない。遥は軽く隆人をにらんだ。 「それってずるくないか?」 「権力者というのはそんなものだろう?」  そう返した隆人を遥はじっと見つめた。 「あんたも?」 「『あんた』じゃない」  渋い顔に否定され、言い直す。 「隆人も?」 「ああ、そうだ」  隆人の眼差しに遥の目は射抜かれる。息が詰まる気がした。 「だからこうやってお前を巻き込んでしまった」  低い声が隆人の唇からこぼれ、思わず遥は目を伏せた。だが、それでは隆人の言葉を認めてしまったような気がしてくる。言いたいことは言わなくては伝わらない。  遥は顔を上げた。 「確かに初めはそうだけど――」  再び隆人を檻ごしにまっすぐ見返す。 「俺は途中から納得して受け入れたんだ。だからそんな言い方するな」  隆人はそれには答えず、まったく違うことを訊ねてきた。 「俺のことが好きか?」 「え?」  あまりにさりげなくて何を言われたのか、訊きかえしてしまった。更に隆人が問う。 「俺のことが大切か?」  遥は迷った。そして、隆人を真っ直ぐ見つめかえす。 「それは、今答えなくちゃいけないことか?」  向けられる真っ直ぐな視線に胸が苦しい。それなら自分から逸らせばいいとわかっているのに、なぜか逃げられない。  先に動いたのは隆人だった。視線を落とし小さく首を横に振った。 「いや。俺は世話係ではないから、お前を試しているわけではない。ただ訊きたかっただけだ」  鳥籠から隆人が離れた。 「済まなかったな、変なことを訊いて」  遥はうつむいた。 「変なことを訊いたのか? 本当に?」 「お前が返事に困るような変なことだ」  あまりに静かな口調に、遥の心はざわめいた。  普段の遥なら、こんな言い回しをされると感情的になり、食ってかかってしまっただろう。なのに今はそれができなかった。  初めの問いかけにひとときの感情で答えたら、たぶん後悔する。  言葉は口にしたら、責任が伴う。だから今は何も返せない。隆人も今は答えなくてもいいと言ってくれた。  こんなときには、隆人が人として成熟していることを痛感する。隆人は自らの問いを投げかけてきたが、遥が答えられないと知ると譲歩した。相手を追いつめるようなことはしない。  隆人が大人であることと同時に、自分の子どもっぽさが身にしみた。  遥は勢いよく立ち上がった。驚いた顔で見上げてくる隆人に、ただ一言―― 「トイレ」  隆人が顔をしかめて横を向いた。その顔を檻越しに覗く。 「行ってもいいんだよな?」  (なじ)るように問うと、隆人が息を吐いた。そして次の間を見やると、ぱんぱんと手を叩いた。  するするっと襖が開いて、諒が頭を下げて控えていた。 「お呼びでございましょうか」  時代劇のようなその反応に、遥は(なか)ば感心し、半ば呆れた。 「凰は手水(ちょうず)だそうだ。鳳が許す。案内(あない)せよ」 「かしこまりました」  鳥籠の出入り口まで諒が迎えに来た。 「どうぞ御座所よりお出ましください」  諒について隆人の傍らを通り抜けるとき、隆人は「さっさと行け」というように手をひらひらと動かした。顔は向けてこなかった。  用を足しているとき、戸越しに諒が小声で話しかけてきた。 「基から聞きましたが、定めに目を通していらっしゃらないそうですね」 「ごめん」 「きちんと確認を取らなかったわたくしの責任です。当日になってお困りになるような事態を招きまして、まことに申し訳ございません」  諒の声に力がない。こんなときは謝られる方が責められるよりきつい。それに諒が責任という言葉を使ったのも気になる。 「俺のせいで叱られたりするのか?」 「わかりません」  わからないと言いながら、諒は答えたくなさそうだ。もしかすると世話係の束ねである碧か、本邸の管理責任者の達夫から叱責を受けるのだろうか。手を洗って出ると、諒の顔を見る前に頭を下げた。 「軽率だった。本当にごめん」 「どうか御世話係ごときに頭をお下げにならないでください。特にこの本邸でそのようなことが見つかりますと、わたくしどもが叱られますので」 「そうなのか?」  驚いて上げた目に諒は困ったような顔でうなずいた。そういえば車の中で則之も謝るなと言っていた。  思わず腹の底からすべての息を吐きつくしてしまった。 「思うとおりに振る舞うことができないなんて不自由だな、ここは」  諒がいっそう眉尻を下げる。諒としては遥の考えに否定も肯定もできないのだろう。  遥は詫びの気持ちを込めて無言で諒の肩に手を置いた。諒がかすかに笑んで首を振った。

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