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1.大晦(9)
鳳凰の間へ戻る短い間に遥は反省をしていた。
凰の生活はたくさんの人に支えられている。それぞれが役割を担っている。彼らのすべきことが遥のしたいことを妨げ、して欲しくないことに当たるかもしれない。それでもそうせよと決められ、与えられた仕事に彼らは忠実であろうとする。うかつに遥が自分のしたいように何かをすると、彼らは役目を果たせず、上役から叱られるかもしれない。
わかっていたはずだったが、東京では回りに桜木しかいないため、つい忘れてしまう。
このままでは諒に迷惑をかけてしまうかもしれない。それを防ぐには、この年越しの儀を遥が無事乗り切らなくてはならない。
年越しの儀が凰を試すためというのなら、受けて立つ。要は隆人に遥が凰としてふさわしいと思われればいいだけだ。
良い凰とは、鳳のことだけを見つめ、鳳のことだけを思い、祈りつづける存在だ。つまり隆人のことだけを思い、見つめていなくてはならない。
いい加減な態度や行儀悪くしている場合ではない。そう思いながら遥は自分の前を進む諒の背を見つめた。
次の間に入る前に諒が廊下に膝をつき、中へ伝えた。
「凰様のお戻りでございます」
鳳凰の間の隆人へ碧が取り次ぐ。
「凰様、お戻りあそばしました」
軽く呼吸を整えると遥は奥へ進む。
これは儀式だ。だから遥には演じるべき役割がある。あの披露目の時と同じように。
隆人が戻ってきた遥を見ている。
隆人の前に膝を折って畳に膝をつき、両手をきちんと揃えて頭を深く下げた。
「ただいま戻りました」
隆人は何も言わず、遥の前に手を差しだした。その手に手を載せる。初めに鳥籠に入れられたときのように隆人が遥を檻の中へ導きいれた。座布団はもとの場所に戻されていた。その上にきちんと正座する。
次の間との境の襖は静かに閉じられた。
隆人はまた目を閉じている。その顔を遥はじっと見つめる。
美醜で言えば、隆人は美の方に入る。くっきりとした目鼻立ちは彫りが深く整っているし、体は毎日の鍛錬で引きしまり筋肉もついている。堂々とした立ち居振る舞いは格好いいと思う。自分と関わりのない存在として遠くから見たのなら、その男らしい姿に好感を持っただろう。
遥自身は父親似だ。父は子である遥も認めるほど、女性めいたやさしく美しい顔立ちをしていた。その顔によく浮かんでいたどこか悲しげな表情が、周囲の男たちからいわれのない暴行を受けるきっかけのひとつであったのは間違いない。もし父が隆人のような容姿であったのなら、悲惨な経験をせずにすんだはずだ。
それでも父は自らの人生を父なりに一生懸命生きた。離婚前から遥を必死に育ててくれたし、理不尽な要求をしてきた加賀谷隆人に最期まで立ち向かった。正直なところ遥は父を弱いと思っていたが、実は芯の強い人だった。その父は現在、隆人によって瑞光院に建てられた墓に眠っている。
その墓の前に立つのは、ときに苦しい。父は遥が隆人と関わることを決して認めなかった。だが遥は結果として父の望まなかった道を歩いている。父に対する後ろめたさはまだある。これは昨日墓参りをしたせいかもしれない。墓前に立つとどうしても心が揺れる。
隆人とのことは納得して受けいれた。
この男もまた決して楽ではない立場にある。対外的には上場企業としての加賀谷精機を健全に発展させるべく手腕を振るい、一族内にあっては本家を蝕もうとする分家を御している。それでいて家庭は不安定だ。遥という自分よりも上の立場の者がいることは妻の篤子にとって面白いはずもないし、遥自身も篤子をどう扱えばいいのかまだわからない。長男の暁 は特に問題がないようだが、長女のかえでは隆人のことを父と呼んでいないと聞いた。
隆人にはあのとき確かに凰が必要だった。守りがなければどこからか崩れていく危うさがあった。冷酷な仮面を被っていながら、その陰から窺える加賀谷隆人という男の弱さと誠実さをいつの間にか感じとり、支えることを遥は選んだ。調教しておきながら最後の最後になって、自分のことを見捨てて逃げろと言いだすような、無責任で、悪になりきれなかった男の手を取った。
そう。遥が選んだのだ、隆人を。それでいて、父の前に隆人を立たせ、この男を選んだと胸を張りきれない自分がいる。
ため息が我知らずこぼれていた。
「どうした」
突然話しかけられて、遥はすくみ上がった。隆人がいつの間にか目を開け、遥を見ていた。
「ずいぶん大きなため息をついていたが?」
「考え事――です」
いつものようにぶっきらぼうに答えそうになり、慌てて単語ではなく文で答える。
隆人がおもしろそうに見ている。
「どういう心境の変化だ」
「何のことですか?」
「急に敬体で話すようになった。慣れないことはしない方がいいのではないか?」
むっとしそうになるのを堪える。
「使わなければ慣れることはできませんので」
「なるほど。それはその通りだ」
隆人が笑った。その顔に見とれてしまう。
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