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2.元日(8)

 茶碗を置いて、隆人が付け足した。 「お前を捜していたのは俺だけではない。分家の連中も探していた。俺より先にお前を見つけ出し、凰とさせないためにな」  はっとした。  確かに分家は遥をねらっていた。仮の凰であったとき、遥の住まいであるマンションに襲撃をかけてきたではないか。仮の凰が凰となるのを阻止できれば、相対的に当主の力を削げるから。 「分家から仮の凰を守る最良の方法は凰にしてしまうことだ。そのためにはいち早くお前を見つけ出し、連れ帰らなければならなかった」  遥はうつむいて唇をかんだ。それを気にするようすもなく、隆人の言葉は続く。 「お前の捜索はすべて桜木に任せた。桜谷でさえ分家と内通している者がいるおそれがあってな。たった七人――いや、正しくは五人でたいした情報もないのに少しでも可能性のある町、居そうな店をしらみつぶしに捜させた。その意味では俊介たちには苦労をかけた」  隆人が笑ったような気がして目をそちらに向けると、その顔は明らかに自嘲していた。 「今となっては笑い話だが、俊介にはお前を連れ戻すとき、できるだけ残酷な形にしろと命じた。できれば同室の男の前で。あのとき俺は、お前が失意に打ちのめされて少しでも大人しくなればと考えていた。俊介は忠実な男だからその通り実行したのではないか?」  胸が、息が苦しい。あの時の絶望的な思いや、ショックを受けていた水木の表情がよみがえる。そして、冷笑を浮かべていた桜木俊介の顔も。  隆人がふっと息を吐いた。 「俊介はその後もことあるごとにお前に対しては非情に振る舞っていただろう? そんな冷たい人間ではないのに、俺のため、ひいては一族のためにな。自分たちを追い出した一族だというのに」  本当の桜木俊介は礼儀正しく控えめな男だった。凜々しく美しい顔が笑うとこちらが驚くくらいやさしそうに見える。実は遥の上を行く奥手で、下ネタが非常に苦手なからかいがいのある人物だ。  そんな本来の姿は隆人の命令の前に完璧に隠される。どんな人道に(もと)ることでも、俊介は隆人のためにならやる。今、修行と称して姿を隠しているのも実は任務なのかもしれない。 「遥」  呼ばれて顔を向けた。隆人が遥の目を真っ直ぐ見つめていた。 「俺たちはそれほどの忠誠を尽くす者たちと共に生きている。では捧げられるその忠誠に何を返せる?」  遥は眉根を寄せた。投げかけられた問いは主見習いに過ぎない遥には難しい。答えを見つけらず途方に暮れて、ただ隆人を見つめる。  隆人が表情を和らげた。 「喜びと安心感だ。信頼され感謝される喜びと、自分の存在も存在意義もすべて受けとめ、認められているという安心感だ」  隆人の言葉を口の中で反芻する。 「尽くされる者は尽くしたいと思われる存在でなければならない。もし今そうでないのなら、そうならなければならない。そして尽くしてくれる者にとっての精神的なよりどころにならなくてはならない――わかるか?」  見据える隆人の目を見つめ返したまま、遥は小さくうなずいた。 「頼りたいと思わせることだろう?」 「頼るというのは違うな。たとえば物理的に頼りになるのは俺より隼人だろう。むしろ勇気づけると言った方が正しい。見守り、赦しを与える――に近い」  遥は隆人をしっかりと見て訊ねた。 「あんたはそうなのか?」 「そうありたいと常に望んでいる。望まなければ実現は無理だ。俺のつがいであるお前にも俺と同じようにあって欲しい」 「俺?」  首をひねる遥に隆人が重箱を示した。 「お前が感心した筍の飾り切りは、こんな切り方をしなくても別にかまわないと思わないか?」 「そう……。そうだな、確かに」 「しかもこれを亀の形にした者はこれを食べない。食べるのは俺かお前だ。つまり俺たちのためだけにこんなふうに切ってくれた。何のために?」  遥は隆人と重箱の中のお節料理を見比べ、おそるおそる答える。 「俺を、喜ばせるため?」  隆人が微笑み、小さくうなずいた。  遥は視線を下に落とし、その見事に細工された亀を見つめる。遥のために作られたという、それ。  隆人が切り分けたものを口に運び、箸を置いた。 「俺や五家はともかく、それ以外の一族の者は常に不安そうだった。守られている状態に慣れきったた者が、突然守護のない状態に追いやられれば不安になるのは当然だろう」 「隆人は?」 「俺は不安を感じる余裕などない。その不安を取り除いてやる義務があるからな。むしろ初めは楽しんでいたかもしれない。母が亡くなった頃は社長でもなかったし、自分の実力でいったいどれほどのことができるのか試すチャンスでもあった」  遥は隆人をちらっと見てから、視線を料理に移した。 「でも俺を捜しまわっていただろう? そして、連れ戻した」 「その通りだ。お前を守る義務というか、必要があるからな」  顔を上げ、隆人を見た。ゆったりと茶を飲む隆人の言葉が遥にはよく飲み込めていない。

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