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2.元日(9)

 隆人が穏やかに語る。 「もう少し心を開いて、受け入れてやって欲しい。彼らはそれを望んでいる。お前には一族の者から愛おしまれ、同時に彼らを愛おしいと思う凰であってほしい。今がどうであれ、お前に非道なことをした俺がこんなことを願うのがおかしいのはわかっている。だが、こんなにも俺を大切にしてくれるお前には、凰としてもう一段上の存在になってもらいたい。名ばかりの凰ではなく、真につがいたる鳳凰をなす凰となってほしい。俺にとってお前はかけがえのない存在だから、一族にとってもそうであって欲しい」  体が震えた。心も震えている。胸にこみ上げるものが泣き声となり、涙となってあふれた。頬をつたう涙がぽたぽたと腿に落ちる。  隆人が抱きしめてくれた。 「要求ばかりで本当にすまないな」  優しい声にますます声も涙も抑えられない。遥は隆人にしがみついて泣きじゃくった。  ひとしきり泣いてやっと気持ちが落ち着いた。  遥は隆人の胸に抱かれている。髪を撫でる隆人の手が気持ちいい。心を許した人と触れあうことは、とても安らぐ。  はっきりと物を言い、素直に感情を出し、ときに逆らいさえする開放的な遥の本質が、他人を信用できず、距離をおきたがるタイプだと見抜いたのは隆人が初めてかもしれない。確かに遥は幼い頃からの父との生活で、他人は自分たち親子を苦しめる存在でしかないと学ばされた。それは遥の心に深い傷を負わせる棘として今も突きささっている。  隆人はその棘の存在を認めた。それを無理に抜こうとはせず、その棘ごと、傷ごと遥を抱きしめて、五家から、更には分家からも敬愛される全きひとつがいの鳳凰となることを請うた。そう望む自分を許してほしいと願った。  遥は強ばっていた心と体から力が抜けていく気がした。  隆人が背を撫でる。 「腹が減っているだろう? 食事を続けないか?」  促されて遥は座り直す。だが、顔が上げられない。  まぶたが腫れぼったくて熱を帯びている。きっと無様な顔をしているだろう。それを隆人に見られるのは恥ずかしい。うつむいたまま箸に手を伸ばす。  顎に触れた指先に顔を上向けられ、あ、と思う間もなく唇をふさがれた。体の力が抜け、箸が膳の上に転がる。  しっかりと支えられて隆人と深い口づけをかわす。  遥はキスの後のけだるさに、隆人の胸にもたれたまま吐息をもらした。 「食欲と性欲では、食欲の方が勝るはずなのだがな」  隆人が控えめに笑っている。つられて遥も少し笑みがこぼれるのを感じた。  食事の後、隆人について鳳凰の間へ戻った。  その途中、泣きはらした目に映る光景は以前よりずっと色鮮やかに美しく見えた。泣いたことで目が洗われたのだろうか。何だかすべてが愛おしい。鳳凰を見つけた樺沢の者に深く頭を下げられてさえ、以前のような戸惑いも後ろめたさも感じない。微笑んで会釈を返せる。  息をするのがとても楽だ。隆人の横にいることが正しいと思えたからだろうか。今の自分のままで存在することを赦されていると感じたからか。  鳳凰の間に入ったとき、遥は隆人の背に抱きついた。  触れられる人があり、その人を欲し、その人に欲されている。相思であることを周囲に受け入れられ、喜ばれている。何と幸福なことか。 「愛してる」  何の迷いもなく告げた。 「俺もだ、遥」  答えに愛しさがいっそう募る。  互いの長着を通して感じる隆人の体の温もりとたくましさ。わずかに残る石けんらしき香り。胸に当てている手のひらに感じる隆人の鼓動。確かに今遥は自ら望んで自分の腕で、隆人を抱きしめている。全身で隆人を感じている。  促すような隆人の手に体の脇を撫でられ、遥は抱きつく力を緩めた。それを待ちかねていたかのように向きを変えた隆人の胸の中へするりと抱き込まれる。  目をのぞく隆人の前に、遥は従順にまぶたを閉じた。唇に隆人の息が触れ、それを追うようにゆっくり唇が押し当てられる。  何度もキスを繰り返した。唇が外れるとそのたび熱い吐息が唇の(あわい)で溶けあい、その熱が消えることを恐れるようにまた唇を求めてしまう。  どちらからともなく膝を折り、鳳凰の臥所(ふしど)へ身を横たえていった。

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