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3.一月二日、三日(5)

 胸を突かれたような思いがした。  高校生である洋とその兄の基は、遥の主たる役目である隆人とのセックスにはまだ世話係として関わっていない。そのため今まで遥と接触する場面はとても少なく、声を聞く機会すらなかなかなかった。であるのに、彼らは遥を凰として扱ってくれ、感謝されてうれしいと言ってくれる。遥は一族内のことをまだ満足に知らない型破りな凰であるのに。  以前の遥ならば、凰として選ばれさえすれば、誰でも凰として扱うくせにと、捻くれて受けとめたかもしれない。  しかし今は違う。遥が心のままに発した言葉を素直に喜んでくれた洋を大切に感じる。遥に対して真っ直ぐ向きあって役目を果たそう、遥を温かく受けとめようとしてくれる人々がとても愛しい。  遥は微笑み、静かに告げた。 「ありがとう。そう言ってもらえて、俺もうれしいよ」  沈黙に時間が止まったような錯覚を起こした後、遥の前に皆が深く頭を下げた。 「もったいなきお言葉、ありがとう存じますっ」  洋の声は震えていた。姿勢を直したその頬は赤く染まり目は潤んでいる。結ばれた唇は喜びを噛みしめるようにかすかに揺れていた。  遥は凰の言葉の重さを改めて知り、身が引き締まった。凰に仕える人々を粗略に扱ってはいけない。彼らは誇りと喜びを持って遥の世話をしてくれているのだ。  突然、頬をなでられた。  横を向くと隆人が満足げに微笑み、大きくうなずいた。遥もうなずきかえす。  隆人の視線は正面に戻った。 「世話係の束ねたる碧」  呼ばれて碧が居住まいを正す。 「はい」 「そなたが配下の者どもはかように申しておるが、そなたは如何か」  碧の目が遥を見た。その鋭さに遥の背筋がぞくりとした。碧の視線が隆人に戻る。 「凰様は、鳳様がご生母様のことをお伝えしようとした折、頑なに拒まれました」  遥は衝撃に息が止まった。なぜ鳳凰の間の外にいた碧がそれを知っているのか。 「たとえ凰様が(いとけな)き頃に離れていかれたとはいえ、ご生母様であることに変わりはございませぬ。まして凰様の御心(みこころ)にご生母様への屈託あればこそ、鳳様は解きほぐしてさしあげたかったかと拝察いたしまする。そを一考の余地もなく切り捨てておしまいになったは、鳳様のお言葉の意を汲もうとなさらぬ凰様の冷たきお人柄の表れと申せましょう。我らが鳳様に今現在の凰様はふさわしからず。鳳方より謹んで申しあげまする」  遥は震えていた。怒りにだ。視界さえ揺れている気がする。 「凰方より申しあげたき儀がございまする」  固い声は則之だった。 「許す」  隆人の声が低い。 「碧姉、姉はまず凰様に御謝罪ください」  則之が厳しい声で要求し、碧が平然と対応する。 「凰様への御謝罪を則之弟が求むるは何ゆえか」 「姉は、ご生母様が幼き凰様と夫たる凰様の父君に為した悪行の数々をご存じか。凰様の御世話――御食事から御着替え、(おん)添い寝、お二人の御召し物の手入れ、御住居の清掃、これらすべてを父君一人がなさっていらっしゃったとのこと」 「幼き凰様のご記憶違いということもあろう」  遥は息苦しさに喘いだ。 「ご生母様に触れんとなさっただけでお手やお顔をきつく打たれしことたびたびと、弟は承っておりまする。家族として為すべきことをせず、為さざるべきことを為した女性(にょしょう)を果たして母と思えましょうや」  遥が耳を塞いで叫びそうになったそのとき―― 「やめよっ」  応酬を制したのは隆人だった。遥は座布団に手をついて、震える体を何とか支える。 「この件については我が失策とせよ。これ以上の詮議は無用。良いな」 「ははっ」  碧と則之の声がした。  横から抱きしめられた。そのまま力なく隆人の胸にもたれかかる。 「暫し時間を取る。水を持て」  直ちに水の入ったグラスが運ばれてきて、唇に当てられた。一口、二口飲むと手で押した。 「もう、いい……」  隆人は無言を貫いてくれた。ただ荒れくるった心の波を鎮めるように背を撫でてくれている。その手は確かに温かい。  遥は目をつぶりゆっくりと呼吸を整える。隆人がわかってくれているのならそれでいい。  十分ほども経っただろうか。隆人が遥の顔を覗いてきた。 「落ちついたか。 座っていられそうか?」  遥は二、三度うなずくと座布団にきちんと座り直し、背筋を伸ばした。  これは凰と、鳳方の世話係の闘いでもあるのだと感じた。これ以上弱いところは見せられない。 「どうぞ、続きを」  そう促すと隆人が正面を向いた。 「詮議を再開する。我が凰に対して言いたきことことあらば、すべてこの場で申せ」  碧と紫が視線を交えている。そのとき諒がすっと顔を上げた。

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