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3.一月二日、三日(6)
「凰方より申しあげたきことがございまする」
「許す」
「凰のおおとり様は先ほどの小野先生の作法のほか、書道、茶道、華道、洋式作法、英会話なども学んでおいででございます。これらはすべて御自ら選ばれし習い事にはあらず。鳳のおおとり様のつがいとしてふさわしくあらねばというご努力の表れ。そを鳳方にはよく知っていただきとうございます」
「確かにな」
隆人がうなずくと、諒は更に続けた。
「何より鳳のおおとり様との御仲睦まじさ、これに勝る凰のおおとり様の美点はございませぬ。そのこと控えの間にても重々伝わってきたのではございませぬか、鳳方の?」
諒の発言に遥は顔が燃えあがるように熱くなった。
考えてみれば世話係たちのいる控えの間とはわずか襖一枚隔てただけ。遥が隆人に抱かれて上げる声、会話はすべて聞かれていた。だからこそ世話係は遥たちのようすを見ずして評価ができるのだ。しかもそれを俊介の次に真面目な諒に指摘されたのが恥ずかしい。
碧が観念したようにうなずいた。
「諒弟の申せし凰のおおとり様の健気さ、疑う余地はございませぬ。これほどに御仲睦まじき鳳様凰様を、御世話係を承りてよりこの方、拝見すること初めてでございました」
室内の空気が和らいだ。
隆人が、他にはあるかと訊ねたが、もう世話係から声は上がらなかった。
「そなたたちの我が凰への存念、すべて明らかになった。して、世話係の束ね、碧よ」
「はい」
「束ねの裁定はいかがか」
隆人の言葉に遥は隆人と碧を見比べる。碧が頭を下げた。
「謹んで申しあげます」
居住まいを正した遥は唾液を飲みくだしていた。
顔を上げ、いったん目を伏せた碧が、再び隆人を見つめた。
「我らが凰のおおとり様は『掌中の珠』かと存じます」
「その名の意は?」
「鳳のおおとり様の御手 の内にあり、いささかの欠けたることもなく丸まるとよく磨かれてございますが、あまりの見事な磨かれように時折つるりと御手からお逃げあそばします。このために些少の塵もまとうこともございますが、もとより美しゅう磨かれし珠ゆえ、塵など息で軽く吹かれればまた一点の曇りも汚れもなきお姿を取り戻されます。鳳様の御手にて愛でられれば愛でられるほどにいや増す輝きは、鳳のおおとり様のみならず我ら下々の者をすら照らしてくださり、そのまばゆき御方にお仕えする喜びに身も心も震える心地さえいたします」
隆人が苦笑を感じさせる口調で言った。
「誉めも誉めたり――だな」
碧が「恐れながら」と申し添えた。
「わたくしごとにて申しわけございませぬが、鳳のおおとり様の母君であらせられた先の凰様より『そなたらの心に生ずる思いは主の心根を映しだすもの。そなたらの素直な気持ちを受け取らぬ主はその心根にひねたるものがある証。よき主かを知りたくば、思うところを素直に明かしてみよ』と、お言葉を賜りましてございます」
思わず遥は胸を押さえた。心臓がどきんと強く打った気がしたのだ。
碧の言葉は続く。
「優れた主を讃えずして、我らは何を讃えましょうや。我らの真 を込めし裁定、どうかお受け取りくださいますよう――」
碧の取った間に皆が姿勢を正し、唱和する。
「御願い奉りますぅ」
気がつくと、体が震えていた。
体をきつく抱きしめても、ぞくぞくする感覚はおさまらない。
感動と言うよりは恐怖に近かった。
なぜ彼らはこんなにも主とされている者に対して従順でありながら誇り高いのだろう。そのような気持ちをこんなふうに一斉に向けられてはどうしたらいいのかわからない。
なんだかひどく息苦しい。
「大丈夫か?」
隆人の腕に肩を抱かれた。
ほっと息が付けた。
「まだ主の立場に立ったばかりのお前では、なかなか皆の気持ちを受けとめかねるのだろうが、それも経験だ。今気圧されたからと入って恥じることはない」
諭すような言葉が体にしみこんでくる気がした。遥は顔を上げ、隆人をじっと見つめた。隆人も同様に見返してくる。
わずか八人の忠義の気持ちさえ、今の遥には受けとめかねるというのに、百を超える一族を束ねる隆人はどれほど強靱で広い心を持っているのだろう。もとより当主とは対立気味の上席の分家以外にも隆人の意に染まぬことをしでかす者や怠惰な者、反抗的な者もいると聞いている。そんな混沌とした集団をどうして平然と束ねられるのだろう。
「どうした?」
じっと見つめる遥をいぶかしく思ったのか、隆人がそっと訊ねた。そのいたわるような眼差しに見つめられることも苦しい。
そう思った瞬間、遥は隆人に抱きついていた。
そんな遥を咎めるようなことは一切言わず、震えてしまう体をなだめるように隆人の手が背をさすってくれる。
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