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第5話 童は見たり、野なかの薔薇

 月に照らされた夜風は冷たくなかった。  そっと包まれた手が暖かい。連れてこられたのは中庭だった。 「君に見せたくて……」  一面に咲く、赤い赤い野ばら。 「このマジックは夜が明けても消えない」 「どうして」  フフと大佐が笑った。 「ニホンには薔薇を贈る慣習がなくて、自生している野ばらを中庭に植え替えたんだ。夜な夜な少しずつ……君を驚かせたくて」  野ばらは、大佐のシャツから香った匂いと同じで優しい。  こんな感情、俺にはないと思ってた。  俺は真兵……こんなにドキドキして甘くて切なくて優しくて、胸が押し潰されるような気持ちはないって思ってた。 「私の国では、愛する人に赤い薔薇を贈るんだ」  赤い野ばら  金貨の薔薇 「君に沢山の薔薇を贈るよ。沢山の愛を」  野ばらが夜風に揺れる。  甘い香りが夜風に揺れる。 「Sah ein Knab' ein Röslein stehn……♪」  大佐が口ずさむのはシューベルトの『野ばら』 「最初に薔薇を贈ってくれたのは君だよ」  童は見たり、野なかの薔薇♪  大佐の中に優しくて暖かい野ばらを見た。 「Ich liebe dich(イッヒ リーベ ディヒ)」  使う事ないドイツ語だと思っていた。  愛しています。大佐。 「Danke(ダンケ)……ありがとう。愛している、ソーマ」  チュっ♥  花びらのように柔らかで…… 「Du bist mein Schatzt(ドゥー ビスト マイン シャッツ)」  夜明け前、群青の空  悪戯な微笑みが咲いた。 「意味は教えてあげないよ」  ……私の宝物だよ、ソーマ                《第一部 完》

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