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第30話

「もうすぐポイントF7028だ」 「はい」 「操縦を変わってくれるかな。君の方が適任だ」 「分かりました」  俺をそっと操縦席に携えて、後部座席に大佐が移動した。  F7028  操縦桿を握る手にじわりと汗が滲んだ。  ドイツ上空の気流は複雑だ。  そして気流は絶え間なく変化する。  その気流の変化は、パイロットを翻弄してきた。  セイレーン空域  熟練パイロットですらも読み切れない気流  容赦なく空の猛威が飛行機を落とすその場所を、セイレーン空域と呼んでパイロットは恐れた。 「今日の予報では、F7028にセイレーン空域が出現する。ちょうど、この時間だ」 「予報が外れる場合もあるんですよね」 「あぁ、出なければその方がいい。出現ポイントが違えば、その時は君の腕にかかっている。プレッシャーをかけてごめんね」 「いえ。俺もパイロットですから」  俺が操縦するのは隼。ニホンの機体だ。ニホンの機体はニホン人の俺に任せてほしい。 「ありがとう。頼んだよ」 「はい。問題なく着陸する予定ですが、念のためサポートお願いします」 「そうだね。ニホン機の操縦は君、ドイツの気象は私。分担作業としよう。こちらも念のため、もう一つサポートを頼んでおいたよ」 「えっ」  ピピッ、ピ、ピー  無線が信号を受信した。 「到着したようだ」 「これは……」  微かに見える。二時の方角だ。  目視で僅かに確認できる。雲間に二機。 「安心して。ドイツ軍だよ。念のため、部下を呼び出した。ここから先は彼らに誘導を頼もう」 「はい」  セイレーン空域の出没ポイントが予報と異なる場合に備えて、大佐が呼び寄せてくれていたんだ。 「信号709∑を送って。私達がウィルバートとソーマである事を伝えよう」 「了解」  709∑を無線で送る。  あらかじめ取り決めていたドイツ軍の合図だ。 「大佐。信号が返ってきました。709∑受諾。我々は友軍と認識されました」 「Alles klar(アレス クラー).(=了解)。誘導に従おう。着陸予定地は……デュッセルドルフか。ベルリンは難しいようだね」 「情勢が良くないのでしょうか」 「いいとは言えないが、念のためだよ。夜間の軍用機の発着陸で刺激したくない」 「そうですね……」  ドイツの二機はフォッカーD.Ⅶ、軍用機だ。俺達の搭乗している機体も哨戒機を改造した隼―改、軍用機である。  無用な衝突を回避するためにも、誤解は避けたい。 「夜が明けたらベルリンへ向かおう。大丈夫。私達の選択は間違ってないよ」  俺、甘えているのかなぁ。  空の上で、孤立無援な高度5千メートルの上空で、大戦中は空の色を何とも思わなかった。  でも……  今は、俺達を包む闇色の衣をまとう空の色が怖い。  ふとすれば不安に飲み込まれてしまう。  こんな感情を抱くのは、きっと……大佐の優しさに触れてしまったせい。 (だけど……)  怖いと言ったけど、怖くない。  まるで触れているかのように、暖かくて……  大佐の声が俺を包んでくれる。  大佐がいると、空の闇も怖くないって思うんだ。  機影の翼で空の闇も渡れる、って……

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