30 / 39
第30話
「もうすぐポイントF7028だ」
「はい」
「操縦を変わってくれるかな。君の方が適任だ」
「分かりました」
俺をそっと操縦席に携えて、後部座席に大佐が移動した。
F7028
操縦桿を握る手にじわりと汗が滲んだ。
ドイツ上空の気流は複雑だ。
そして気流は絶え間なく変化する。
その気流の変化は、パイロットを翻弄してきた。
セイレーン空域
熟練パイロットですらも読み切れない気流
容赦なく空の猛威が飛行機を落とすその場所を、セイレーン空域と呼んでパイロットは恐れた。
「今日の予報では、F7028にセイレーン空域が出現する。ちょうど、この時間だ」
「予報が外れる場合もあるんですよね」
「あぁ、出なければその方がいい。出現ポイントが違えば、その時は君の腕にかかっている。プレッシャーをかけてごめんね」
「いえ。俺もパイロットですから」
俺が操縦するのは隼。ニホンの機体だ。ニホンの機体はニホン人の俺に任せてほしい。
「ありがとう。頼んだよ」
「はい。問題なく着陸する予定ですが、念のためサポートお願いします」
「そうだね。ニホン機の操縦は君、ドイツの気象は私。分担作業としよう。こちらも念のため、もう一つサポートを頼んでおいたよ」
「えっ」
ピピッ、ピ、ピー
無線が信号を受信した。
「到着したようだ」
「これは……」
微かに見える。二時の方角だ。
目視で僅かに確認できる。雲間に二機。
「安心して。ドイツ軍だよ。念のため、部下を呼び出した。ここから先は彼らに誘導を頼もう」
「はい」
セイレーン空域の出没ポイントが予報と異なる場合に備えて、大佐が呼び寄せてくれていたんだ。
「信号709∑を送って。私達がウィルバートとソーマである事を伝えよう」
「了解」
709∑を無線で送る。
あらかじめ取り決めていたドイツ軍の合図だ。
「大佐。信号が返ってきました。709∑受諾。我々は友軍と認識されました」
「Alles klar .(=了解)。誘導に従おう。着陸予定地は……デュッセルドルフか。ベルリンは難しいようだね」
「情勢が良くないのでしょうか」
「いいとは言えないが、念のためだよ。夜間の軍用機の発着陸で刺激したくない」
「そうですね……」
ドイツの二機はフォッカーD.Ⅶ、軍用機だ。俺達の搭乗している機体も哨戒機を改造した隼―改、軍用機である。
無用な衝突を回避するためにも、誤解は避けたい。
「夜が明けたらベルリンへ向かおう。大丈夫。私達の選択は間違ってないよ」
俺、甘えているのかなぁ。
空の上で、孤立無援な高度5千メートルの上空で、大戦中は空の色を何とも思わなかった。
でも……
今は、俺達を包む闇色の衣をまとう空の色が怖い。
ふとすれば不安に飲み込まれてしまう。
こんな感情を抱くのは、きっと……大佐の優しさに触れてしまったせい。
(だけど……)
怖いと言ったけど、怖くない。
まるで触れているかのように、暖かくて……
大佐の声が俺を包んでくれる。
大佐がいると、空の闇も怖くないって思うんだ。
機影の翼で空の闇も渡れる、って……
ともだちにシェアしよう!