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烏の鴨丸

「全っ快!」 「おーおー、んとにもう…はあ…」 「天嘉殿のご苦労、ツルバミにはよくわかりますぞ。」  翌日、風邪を召した蘇芳が天嘉の甲斐甲斐しい世話によって回復をしたのは良かったのだが、当の天嘉はというと余程草臥れたらしい。ツルバミによそわれた白米を片手にくまの酷い顔で恨めしそうに蘇芳を見つめたいた。 「うむ、なかなかに満たされた一日であった。なんだろう、やはり嫁に甘えるというのは実にいい。天嘉もいつもより優しかったしな。うむ、ご苦労であった。」 「いちいち上から目線ほんとに癪に障んだけど?誰こいつにクソバイスかましたやつ。」 「はてなんのことやら…」  まったくもって不服である。天嘉は添え物のカブの漬物をパリポリ噛み砕きながら白米を食べる。今朝の朝餉は天嘉が作った。前日散々に甘え倒され、そして蘇芳によってほうれん草のお浸しが食いたいだの、アジの開きを焼いてほしいだの、鮭派の天嘉といえば、まあ病人のおねだりだしやってやるかと、朝早くから起きて、砂抜きしたしじみの味噌汁やらアジを焼いたり、油揚げを一緒に煮たほうれん草のお浸しやら、だし巻き卵まで器用にこさえる。  それを用意してから奥座敷に戻れば、呑気に欠伸をしながら起きてきた蘇芳は、嬉しそうに顔をほころばせてご機嫌顔で宣った。  体調が悪いときは嫁がいつもよりも優しくなるとはこの事かと。 「甚雨もなあ、怪我をしたときは甲斐甲斐しく青藍が世話をしてやったそうだ。やはりそれが一番の治療法だと言っていたが、俺もこうして頗る元気に戻った。やはりあの言葉は誤りではなかったようだ。」 「お前の世話は幼児ばりに疲れたけどな。日がな一日ずっとべたべたべたべた。人が下でに出てりゃ厠までついてきやがって。」 「仕方ないだろう、天嘉に離れてほしくなかったんだ。」 「だからといってご自分の諸用まで連れて行ってもらうのはどうかと思いまする。」  げこりと引き気味にツルバミが言う。そうなのだ。やけに甘えてくるとは思っていたが、厠まで付いてきてくれと言われたときは白目を剥きかけた。  まさかそこを晒して介助するのかと思ったら、すぐ出てくるから外にいろと言われ、厠の外で立ち尽くしている天嘉を見たツルバミまでもが、理由をきいて頭に疑問符を散りばめた。 「暗かったしなあ。」 「嘘こけ、真夜中でも平気で一人で厠行くだろうが。」 「天嘉、食事中だぞ。厠の話はまた後でだ。」 「は、腹立つ…!!」  ズッと美味そうにしじみの味噌汁を飲む蘇芳の緩んだ顔に、一発くらいはお見舞いしたい。  手を洗うのも厠に行くのも俺も行く、俺もやる。である。まるで自我が出てきた幼子のように、天嘉が行くなら俺も俺もと喧しくてかなわなかった。  夜も一人で布団に寝ていたはずなのに、朝目覚める頃には大きな体を天嘉の布団に潜り込ませ、縮こまって震えていたのである。  余計風邪が悪化するわ!!とキレ気味になりながら、遠く放られた蘇芳の分の掛け布団を引きずってきたのは朝日が登る前の出来事である。 「うむ、おあげさんも実にうまい。天嘉は料理が上手だなあ。」  甘辛く、くたくたに煮付けたほうれん草と油揚げのお浸しを気に入ったらしい。米とともに頬を膨らませながら咀嚼する。 「いやしかし、確かにお上手ですよ。ツルバミも料理は得意ですが、やはり火加減は得意ではありませぬ。こちらが干からびる前に天嘉殿におまかせしようかしらと思うほどでございまする。」  ぱくぱくとアジの開きを食べながら、ニコニコと横の瞳孔を緩ませ笑うツルバミに褒められ、天嘉は照れくさい。  蘇芳は桜海老と生姜のちりめんじゃこふりかけを気に入ったらしい。一膳目を平らげると、頼もうと言って椀を差し出してくる。  天嘉はお櫃からふりかけを混ぜた米をよそってやると、どうやらまだ食べる気らしい。もう一声と宣った。 「太るぞ?」 「うむ、羽を使うのは体力を使うからなあ。今からしっかり食わねば長くは飛べぬ。」 「ん?病み上がりなのにどっか行くのか?」 「何を言うのだ、天嘉が紅葉を見に行きたいといったのだろう。」 「今日!?」  勿論だ。と鷹揚に頷く。予定なんてなにもないが、まさか今日だとは思わなかった。頭の中で食料庫の中身を思い浮かべたが、野沢菜はなかったし油揚げもこれが最後だ。  行く気満々の蘇芳には悪いが、弁当を作るのなら今日は買い出しに時間を使いたい。  天嘉は残りのしじみ汁を飲み干すと、ことりと椀を置いて蘇芳を見上げた。 「弁当の材料買わねえとだから却下。」 「なん…だと…」  この俺がやる気を見せているというのにか!と分かりやすく項垂れる蘇芳を横目に、ぱくぱくとお浸しを食べながらツルバミが天嘉を見る。 「ならば買い出しには御助をつかいましょう。以前天嘉殿がでりばりいとやらを仰ってたでしょう。御助に申し付けたところ、なにやらたいそうやる気でした。」  申し付けたのは十六夜なのだが、ツルバミの中ではおのが手柄になっているらしい。  天嘉から貰ったメモ帳と墨いらず、まあボールペンなのだが、それを手練のようにカチリと顎先で押してペン先を出すと、手慣れた様子で購入するものを書き始めた。  流れるような文字が見事すぎて天嘉は読めない。ミミズが張ったような文字が通じてしまうのだから、天嘉は毎回驚かされる。これを買ってきてと言われても、多分読めないので暗記しかなさそうである。 「ふむ、こんなところでしょうか。」 「んで、どうやって呼ぶの?」 「そんなもの、烏を使うのです。」  何を今更と呆れたような目でツルバミに見つめられたが、十六夜のことだろうか。  困った顔をする天嘉を横目に蘇芳が立ち上がると、ツルバミからメモを受け取った。  障子を開け、指笛を吹く。バサリと羽音がしたかと思うと、普通の烏よりも大きな烏が舞い降りた。 「でっっっか。」 「化烏ですよ、烏天狗とはまた異なりましてね。」  ツルバミに説明された通り、確かに烏天狗とちがって人型ではない。しかし言葉は喋るらしいが、普段は口数が少ないという。 「鴨丸、頼まれてくれるか。」 「烏なのに鴨…」 「天嘉殿、それは禁句ですぞ。」 「あ、わりい。」  鴨丸はその嘴でパクリと蘇芳の手からメモを咥えると、バサリと大きな羽音を立てて飛び立った。伝書鳩ならぬ伝書烏である。鷲よりも大きな鴨丸が見えなくなると、蘇芳は天嘉の疑問に答えるかのように付け加えた。 「まあ、鴨丸が育てられたのは川辺りだからなあ。」 「鴨の雛に混じってたんですよね。」 「なにそれどういう状況!?」 「托卵先を間違えたとかだった気がするが。」  なんとも豪快に托卵先を間違える親である。  化け烏は徳を積んだ烏が転じるものだと言うが、天嘉の中ではそのイメージがそもそも全くわかない。  頭に疑問符を浮かべる様子が面白かったのか、蘇芳はわしゃわしゃとかき乱すようにして撫でたあと、再びドカリと席について、天嘉におかわりをねだったのであった。 「ごめんくださああい。」  どうやら鴨丸が仕事をしたらしい。天嘉は御助の声がしたのでバタバタと玄関の間へと向かう。上がり框にどっさりと食料を載せた御助が、ホクホクとした様子で待っていた。 「いやあ、己の価値を再確認した。俺ァやっぱり、運び屋がむいてらぁ。」 「ご苦労さん!重かったろ?あ、鴨丸は?」 「鴨丸は軒先におるぞ。呼ぶか?」  おおい!と御助が鴨丸を呼ぶと、ひょこひょこと跳ねるようにして三和土に上がる。  見た目は大きな烏である。くりりとした黒目が愛らしく、大きさは丁度天嘉がしゃがむと同じくらいだろうか。  触ってみたい、が、触ってもいいのだろうか。   じいっと天嘉が鴨丸を見つめる。御助は、なにやらまたこの人の雌が面白いことをしようとしているのではと、黙って見つめていた。 「鴨丸、意思の疎通は可能?」 「……可能です。」 「しゃべった!!!!」  そらあ喋るよ、妖怪だもの。御助のそんな言葉を聞きながら、天嘉はいったい嘴を開かずに何処から声を出しているのやらと興味津々である。  恐る恐る天嘉の白い手が、鴨丸の首の付け根にそっと触れた。さわさわと撫でている間、鴨丸はぴしりと固まったまま動かない。  御助からしてみたら、鴨丸はシャイもシャイ、雌慣れしていなさすぎてどうしていいかわからないのだ。大人しいなあと褒める天嘉に、御助は哀れ鴨丸と苦笑いである。 「さ、細君…お暇させていただきたく…」 「うん、あ。まってな、御助もそこで待ってな!」 「おう?おおい!妊夫は走るんじゃあねえよ!」  ぱたぱたと忙しなくかけていた天嘉が、御助の言葉に慌てて早歩きで姿を消すと、数分後に紙にくるまれた甘い匂いのするものを持って戻ってきた。 「なんでい、やけに甘え匂いがするなあ。」 「今川焼きもどき。」 「小判の形とは景気がいいねえ。」  天嘉は籠にそれを入れて鴨丸に渡すと、くりんと首を傾げられた。 「お駄賃、あと慰労がわりに菓子な。口に合えばいいんだけど。」 「おいおい、お前が作ったのかい?そういやあ青藍の野郎がたい焼きのくりいむが至高だとか抜かしてたなあ、似たようなもんかい?」 「形がちげえだけで中身おんなじ。御助もやるよ、ありがとな。」  今川焼きの籠を嘴に寄せられ、思わず咥える。ずっしりとはするが持てなくはない。飛ぶときに足で持てばいいだろう。  御助も嬉しそうに木綿の裾でそれを絡めると、また洒落たもんもらっちまったよと喜んでいる。 「鴨丸、あんがと。あとこれからよろしく?」 「く、くぁ」  くしくしと後頭部をかくように撫でられて、妙な声が出た。口に咥えた籠を落とさないように、慌てて銜え直すと、これだから童貞はと御助に誂われてしまった。  鴨丸の仕える山の守護隊の総大将の嫁は、恐ろしく気が強いと聞いていた分拍子抜けをしたが、鴨丸は、親鳥に褒められたときのようなほこほことした温かい気持ちが湧き上がった。 「惚れんなよ?」 「惚れぬ!!」  御助がからかって来るのにムッとして声を張り上げた。慌てて口から落ちた籠を天嘉が止めると、お前ら仲いいなあと笑われた。

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