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そこは天嘉の独壇場
「冷ますのに俺を使うのはいいんだけどさ、まじで俺氷結要員じゃん?」
「あ、もちょい冷気緩めて、凍りそう。」
「おおっと、あぶねーあぶねー。」
ぱたぱたと団扇で仰ぎながら、宵丸は天嘉が手際よく高菜入りの酢飯を作っているのを眺めていた。
どうやら今日は蘇芳と共に滝壺まで行くらしい。それにしてもどれだけ食うつもりなのだろう。桶いっぱいに作ったそれは、同じく大量に煮詰めたお揚げさんに入れるのだろう。
つまみ食いを駄賃に手伝いをさせられているので、宵丸もご相伴に預からせていただく所存である。
「だってみんなで行くだろ?ピクニックとかガキんとき以来だなあ。」
「ぴくにっ、うん?」
「遠征して飯を食うみたいな。」
「おう、またカナ文字かぁ。」
なるほど、みんなで行くから作っているのか。宵丸は合点がいったように頷くと、はたと気がつき慌てて天嘉を見た。
「夫婦水入らずじゃね!?」
「なに、墨いらず?」
「ちっげえー!水入らず!!二人だけよ!!いかねえの!?」
宵丸はぎょっとした顔で天嘉を見た。だって恐らくだが、蘇芳とて夫婦水入らずで行くつもり満々だろう。
紅葉狩りかあとかいってご機嫌に着物の入った長持を漁っていた。華やかな着物が好きな男だ、藍に紅葉の織りが入った上等な着物を出していたのを知っている。
天嘉は相変わらず少しだけ不機嫌そうにも見える顔でむっつりと唇を尖らせている。
もしやまた夫婦喧嘩だろうか、宵丸は目元を引くつかせて絶句していると、天嘉がもにょりと口元を動かした。
「…だって。」
「だって?」
「…恥いじゃん。」
「はじっ…」
もしや、照れているのか。二人で出かけるのを照れているのか。
むすくれた顔だが、よくよく見ると目元は確かに赤らんでいる。ああ、これは間違いなく夫婦二人で出かけるのが慣れていない証拠である。おい、しっかりしろ蘇芳。
宵丸は目元を抑えるとゆっくりと天を仰ぐ。
「俺も嫁さんほしい…」
「唐突な奴だな。まったくわけわからん。」
耳を赤らめた天嘉が手際よくお稲荷さんを作っていく。菜箸で摘んだそれを宵丸の口に突っ込むと、現金な雪の妖かしはもぐもぐと口を動かした。
「うんま。飯に釣られて俺もついてくわ。」
「うん、お前もついてくると思って作ってた。」
「なにそれえ!?嫁ちゃんかわおっとこれ以上はいけない。」
「忙しないやつだな…」
天嘉は呆れた顔で口元を押さえて大人しくする宵丸を一瞥すれば、ぺたぺたと足音を立てて歩いてきたツルバミが、炊事場に顔を出した。竹で編まれた弁当箱を片手に天嘉の横に並ぶ優秀な侍従に、天嘉は菜箸でいなり寿司を摘んで口に含ませる。
挨拶の前に口にお手製のそれを突っ込まれたツルバミは、ムグムグと口を動かすとぶんぶんと首を振った。
「大変に美味しゅうございます。じつにこの高菜が良い仕事をしておりますなあ。隠し味は何でしょう?」
「明太子、これ入れるといい具合になるんだよ。」
「はあ、ツルバミも覚えておくとしましょう。」
ホクホクとした顔で天嘉の横に立ち、いなり寿司を入れていく。
天嘉はというと、手際よくだし巻き卵を作っていく。外界に出たときについでに買ったフライパンは、いまやツルバミも使いこなしている。
「よし、唐揚げ作るか。」
「まじでございますか!?」
「まじで!!」
声を揃えて嬉しそうにはしゃぐ二人に、本当にこいつら好きだよなあと思いながら、天嘉は宵丸を見た。
「昨日渡した肉持ってきて。冷やすだけっつったやつ」
「あの醤油漬けの鶏肉か!合点!」
「天嘉殿、タコも!タコも揚げましょう!」
「味しもるかなぁ。まあ薄味になってもいいならやるけど…」
ツルバミがぴょんぴょん跳ねながら、皿に乗せたタコの足を見せつけてくる。この間つくったタコの唐揚げもたいそうお気に召したらしい。天嘉はジップロックに作り置きのタレと一緒にタコのぶつ切りを入れると、がこんとクーラーボックスを開けて打ち込んだ。
「このくうらあぼっくすなるものは誠に便利ですなあ。」
「俺が氷入れてんからな!いちいち氷漬けにする心配もねえし楽だわあ。」
自慢気に宣う宵丸から受け取った、下味をつけた鶏肉に粉をまぶすと、ぽいぽいと油の中に放り込んでいく。
因みに火はツルバミが火打ち石で点火してくれないと使えない。天嘉は蛙の手で器用に火打ち石を使いこなすツルバミに感心するばかりだ。
じゅうじゅうといい音を立てて揚げ物をしていると、その匂いにつられたらしい。すっかりとよそ行き姿の蘇芳がヒョコリと顔を出した。
「揚げ物の匂いがするな。」
「でた。摘み食いするだろうと思って余分に揚げたから、摘んでいいぜ。」
「まじでか。」
宵丸に熱々の唐揚げを程良く冷ましてもらったツルバミが、美味しそうにぱくつくのを見て腹が鳴ったらしい。蘇芳は嬉しそうに炊事場に入ってくると、パクリと一つ口に放り込む。
にんにく醤油の下味がしっかりと効いており、たいそう美味である。この衣のしっかりとした感じは揚げたてでしか味わえない。もちろん冷めたのも美味いのだが、天嘉が炊事場に立つと、みんな出来立てを摘みたくてひょこひょこと顔を出してくる。
だから天嘉はここが一番好きだった。
「稲荷もいいのか?」
「一個な」
「おう。ん、んまい。」
お伺いを立てた割に、蘇芳は先にいなり寿司を手で摘んでいた。天嘉が駄目と言わない事をわかっていたようで、わくわくしていたらしい蘇芳に笑いそうになる。
ツルバミに紅生姜を渡していなり寿司の上に乗せるように頼むと、次はタコである。
宵丸も揚げ終えたから揚げをご機嫌に重箱に詰めていくと、ふと何かに気づいた蘇芳がキョトンとした顔で宣った。
「やけに多いな?」
「ん、みんなも食うだろうし。」
「俺も行く。」
「ツルバミめもお供しまする。」
はーいっと元気よく二人が手を挙げると、蘇芳はぎょっとした。やはり宵丸の見立て通り、二人きりの逢瀬を期待していたらしい。
しかしこんなうまい飯、元旦でもないのに独り占めで食らうなど、そんな卑怯なことを誰がさせるか。二人の蘇芳を見る目は間違いなくそう語っていた。
「まて、宵丸はともかくツルバミは飛べぬだろう。どうやってついていく気だ。」
「鴨丸に乗せてもらいますのでご心配は無用ですな。」
「俺雪風纏ってくから寒かったらゴメンな。」
「羽が凍るから離れて飛んでくれ…」
やれやれといった具合に蘇芳は頭が痛そうに溜息を吐く。蘇芳のイメージしていた細やかな二人だけの宴は当分お預けだ。
呑気にタコを揚げている天嘉をちらりと見たが、にっこり可愛らしく笑って誤魔化された。
「うそうそうそうそ!!」
「天嘉殿!体の力をお抜きくだされ!風に身を任すのです!」
「ジェットコースターよりこわい!!ぎゃぁあ!!」
ツルバミはちんまりと籠に収まって鴨丸に運んでもらっているからいいが、天嘉はというと抱っこ紐のようなもので体を括り付けられたまま、直に風を感じている。
蘇芳が出掛けに天嘉の体を紐で括るので変だなあとは思っていたのだが、さあ、行くかと宣ったかと思えば、それを己に巻き付けた。
あれよあれよという間に、ぶわりと巨大な鳶に姿を変えた蘇芳に、天嘉は引きつり笑みを浮かべたのが先程の話。
みんなの楽しみにしているお弁当は、蘇芳が足でしっかりと鷲掴んでいる。ばさりと大きな羽音を立てながら飛ぶ蘇芳に、天嘉は紐でくくられていても、怖くて仕方がない。
背後から背泳ぎをするように優雅に宵丸が飛んでくる。お前はなんでその体制なのだと聞きたいが、聞く余裕もないままの空の旅が数十分間。
これは絶対に胎教に良くないと思い、白目を剥きかけた頃に漸く地上に降り立った。
「うう、つ、次は人型がいい…ま、まじでこわかった…」
「なんと、そんなに俺に触れたいか。しがみついてくる天嘉が愛おしくてついはしゃいでしまったが、帰りはそうしよう。」
「天嘉殿、お気を確かに。お水をお飲みなさい。」
「飲む…」
げっそりとした天嘉が大きな岩に凭れ掛かるようにして腰掛けている。酔いはしなかったのだが、今は地面の側にいたかった。
はらはらと舞い落ちる紅葉が、地面を絨毯の如く覆い隠す。まるで甚雨の領域だ、ふかふかの落ち葉の上に腰掛けながら、まるで白い紗のような美しく滑らかな水流が穏やかに岩肌を滑る。
透き通る水面に色とりどりの葉が浮かぶのが美しい光景である。
画家ならつい描いてしまいたくなるだろう、そんな風情のある滝壺の底には、小さな祠のようなものがいくつかあった。
「綺麗だけど、少し怖いな。」
「それでいい。美しいが畏怖を感じる、それが本来の自然のあり方だからな。」
そっと水面に触れた天嘉に、蘇芳が言う。
舞い落ちた一枚がその澄んだ境界を滑ったとき、鏡合わせのように映った天嘉の姿がくらりと揺らいだ気がした。
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