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紅葉狩り、そして

「天嘉、あまり覗き込むな。」 「え、あ。」    そっと顎を掬い取られるかのようにして、蘇芳が天嘉の顔を上げさせた。  美しい水面は滑らかな光を波紋のように広め、神秘的な水の中の世界を照らし出す。何かが具現化したわけでもないのに、天嘉は引き寄せられるように水底の祠を覗き込んでいたようだった。    魅入られるとは、なるほどこういうことを言うのか。  美しい滝壺ではあるが、さすがは妖かしが住まう森である。天嘉はハッとすると、すこしだけ薄寒いものを感じて蘇芳の服の裾を握りしめた。   「…あっちいこ、なんかあんま見ない方がいい気がする…」 「美しいものは、近すぎてはダメなのだ。正しい判断だな天嘉。」    蘇芳はくつくつと笑う。もしかして試されていたのだろうか。むすっとした顔で見上げると、ツルバミが急かすようにして名前を呼んだ。   「天嘉殿ー!実にいい頃合いでございまする、昼食にいたしましょう!ツルバミはたこが待ち遠しくてなりません!」  ぴょこぴょこと跳ねながら、重箱を見せつけてくるツルバミに、思わず気が抜けた。天嘉はため息ひとつ、今行くと返事をすると、蘇芳の手を引っ張りながらみんなの元に向かう。  滝壺から離れた位置では、すでに宵丸たちが赤い敷物を敷いて重箱を広げていた。頭上には見事な紅葉や銀杏が誇らしげに葉を広げている。幹が太い。いったいどれほどの年月をかけてここまで成長したのだろう。  見上げるほど立派なそれがサワサワと風情のある風の音を奏でては、彩るように葉を落とす。どこから持ち出したのかは知らないが、宵丸がご機嫌に酒の入った甕を取り出すと、蘇芳はいそいそと胸元から気に入りの盃を取り出す。  以前なんでそんなもん懐に入れているんだと聞いたことがあった。その時に、出された盃に毒が塗られている可能性もあるだろうとあっけらかんと言われてしまい、天嘉はなるほどと言うことしかできなかった。  ここにいるものは皆、己の盃を持っているぞと聞いて、天嘉はなんだか切なくなってしまったのだ。  皆一様に事情があるものが多いのだろう、ましてや総大将として御嶽山の頭を張る蘇芳は、きっと気の休まる日々がなかったのだ。   「今度さ、揃いの湯呑み買いに行こうぜ。」    おかずを取り分けながら、天嘉が言う。本当にただの思いつきだったのだが、その一言に含まれた意味を悟ったのか、蘇芳が嬉しそうに頷いた。ああ、この男はやっぱり可愛いなあ。悔しいから口には出さないが、目は口程にものを言う。瞳に少しだけ情の色が孕んでしまったらしい。茶化されるように宵丸の貫禄のある咳払いによって、現実に戻される。なんだか急に気恥ずかしくなって、天嘉は頬を赤らめた。   「別に二人の世界に入るのは構わないんだけど俺たちもいるんですよおわかりい?」 「野暮なお方ですなあ。紅葉に勝るとも劣らず、なんとも感慨深い風景だったでしょう。ツルバミは天嘉殿のお気持ち、大変嬉しく思いまする。」 「睦まじいのは、いいことだと思う…。」    どうやら二人のやりとりを肴にして、すでに一杯引っ掛けたらしい宵丸が、ニヤニヤしながら見つめてくる。鴨丸も二人のやりとりに照れていたのだが、体毛が黒いためにどうやらバレることはなかったらしい。ただ声色には少しだけ、盗み見るように見つめてしまった罪悪感の色が混じっていた。  天嘉はじんわりと耳まで顔を染めたまま、無言で盛り付けの済んだ皿を回し終える。どうやら嫁の照れ顔はしっかりと蘇芳にはバレていたらしい。やけにご機嫌な旦那によって天嘉はワシワシと頭を撫でられた。    そこからの時間は、まさしく宴そのものであった。  酒の入った宵丸が、雪風を纏いながら見事な舞を披露してくれたり、ツルバミがゲコリと楽しそうに、宵丸に負けじと盆踊りのような動きをしながら歌ってみたり、鴨丸は鴨丸でゆらゆらと体を無意識に揺らしながらその空気を楽しんでいた。  天嘉と蘇芳へ、誘ってくれたお礼にと皆が思い思いにひとときの時間を彩った。後半に連れて酔いの回った宵丸が一人できのこ狩りをし始めたのは面白すぎたが、鴨丸が引率の元、食えるキノコしか取ってこなかったのでまあよしとしよう。   「なにこれ。」 「カンゾウタケ。ブハハ、獣の魔羅みてえ!」 「これは?」 「アミガサタケ。ケツに入れたら気持ちよさそう。」 「お前尻で抱く方なのか?」 「俺は魔羅を使う方だぜ。」    訳のわからぬ妙なキノコを抱えて持ってきたほろ酔いの宵丸は、どうやら酔うと下ネタに走るらしい。天嘉も一応男子なので、下ネタはむしろ嫌いではない。魔羅というのがなんだかわからなかったが、宵丸に蘇芳の松茸のことだと言われると、息ができないくらいに大笑いをしてしまった。  そんな蘇芳はというと、ヤマブシタケをつまむと、なるほど然りと妙な納得をしながら呑気に酒を飲んでいる。  この場で一番理性的な鴨丸だけが、宵丸の着物の裾を咥えながら、再びのきのこ狩りへと繰り出そうとしている歩みを阻止していた。    「そういや、さっきしめじ毟ってるときにガキ見かけたんだよなあ。」  宵丸によってつくられた氷の結晶の中には、摘み取ったキノコが纏まって入っている。天嘉はなんだっけこういうの、と思い出せそうで思い出せない単語に頭を働かせていたので、あまり話を聞いていなかった。   「ガキとは、獄都の餓鬼のことでございますか?」 「いや?ぼろっちいべべきた五歳いくかいかねえくらいの。」 「山に住まう妖かしの童でしょうか。」 「ん、山に五歳児?」 「お、ようやく話に追いついてきやがった。」    宵丸とツルバミの、五歳児という言葉に天嘉が反応した。こんな滝壺のあるような山奥で迷子とはまずいんじゃないのか。そんな顔で蘇芳を見上げる。   「気にすることはない、大方どこぞの妖かしの童だろう。死ぬことはないさ。」 「迷子とかじゃねえのかな。」 「こんな山奥で一人迷うわけがない、甚雨のように見えぬ領域があるのだろう。我々がその領域にに無断で足を踏み入れることの方が問題だ。」 「まじでか、俺キノコ狩しちゃったけどまずいかな。」 「唐揚げ食いながら言ってる時点で反省はしていなさそうだなあ。」    全くお前は、と宵丸に向けて渋い顔をする蘇芳であったが、ヤマブシタケを散々いじくり回していたのを天嘉は知っている。冷たい気もしないでもないが、ここは天嘉の知る常識が通用しないのだ。口を挟むつもりもないので、気にはなったがおとなしくしておく。  ツルバミは、タコの唐揚げの最後の一つをずっと眺めていた。   「テラリウムだ。」 「テラ…なんだって?」 「あ、なんてったらいいんだ。宵丸の凍らしたやつみたいに、透明な箱に庭とか森とか作るみたいな。」 「箱庭のことか?」 「うん、なんかそんな感じ。」    漸く思い出してスッキリした顔を上げると、天嘉の目端に何かが映り込んだ気がした。   「うん?」 「今度はなんだ。」 「いや、なんか目に入った気がして。」 「熊でもみたかい?」  「熊はやべえ。」    宵丸の軽口に天嘉が違うと答える。そんなもの見たらさっさと蘇芳に頼んで戦略的撤退を図る。山の王者ににかなう訳がないからだ。  かさり、茂みから小さな音がする。ツルバミがギョッとしたらしく、ぴょんと跳ね上がると鴨丸にしがみつく。迷惑そうにしながらもおとなしくしている様子に、天嘉は苦笑いした。   「あり?」 「なんだ?」 「がきだ。」    小さな葉擦れを起こしながら、ヨタヨタとした歩みで幼児が顔を出した。  顔に細かい擦り傷を負いながら、ぼろぼろの着物と汚れた素足。小さな体で宵丸を追いかけてきたのだろうか。まあるいお目目に宵丸を映すと、ヒックとしゃっくりをあげた。   「は?人の顔見て泣くとは失礼なガキだなあ。」 「ばか、マジモンの迷子じゃねえか!」    うわああんと泣き出した幼児に、天嘉が慌てて駆け寄った。ツルバミも只事ではないと思ったらしい。同じく天嘉に続く。立ち尽くして大泣きしている子と同じ目線になるように天嘉が立膝をつくと、幼児は珍しい赤目に天嘉を映し、まるで母に縋るかのようにその胸に飛び込んだ。   「うわ、ど、どうした…よしよし、もう平気だからな。」 「童、主はどこぞのものか。親御と逸れてしまったのか?」 「ひぅ、あーーー…」    胸元にしがみついて、わんわんと泣く。天嘉は幼児の小さな頭を撫でながら困ったようにツルバミを見やると、さてどうしたものかと戸惑ったように見つめ返された。     

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