白光の輪郭を背に、きらきらと煌めいていたのは、銀のコンパスでした。 　その先端の、尖りたるや。何という鋭利の極み。 　かざされたそれを、まるで聖なる武器のようにして、時緒君は何の躊躇いもなく、お友達の『叫び』みたいな顔ごと切り裂くよう、真っ逆さまに振り降ろしました。 　蛙が、腹から踏み潰されたような、叫び(こえ)が響きました。 　時緒君は、お友達の汚い心臓に穴を開けてやりたかったのですが、時緒君の針は、顔を塞いだお友達の右手、親指の付け根のふっくら柔らかな丘を突き通し、 離したら、ぴゅーうっと紅くて細い、小さな噴水が、思いの外大袈裟な弧を描きました。 　その紅色が、あまり綺麗じゃなかったのと、噴水が顔に飛び散り眼にも入りそうで、非常に不快だったので、もっともっと沢山お友達に穴を開けてやりたかったのを、あっという間に興冷めして、時緒君は途中で放棄して(やめて)しまいました。 　お友達の言う通り、時緒君のお父さん、その上のお祖父様は代議士で、学校の先生でもないのに皆から先生と呼ばれる、とても偉い人達です。 　これまで同様、時緒君が起こした『粗相』は、蔓のようにお友達のお家の根幹に関わる部分に手を伸ばし、難なくそれを引きちぎることは可能でしたので、面倒な事柄は、全部その掌のなかで揉み消してくれました。 　穴が開いてしまったお友達は、そのまま別の土地へ、その場にいたお友達も、やがては学校に来なくなってしまいました。 　時緒君が、高校一年生の時の、お話です。 　時緒君の名前は、天下泰平の『泰』に、日の光の『晃』と書いて、泰晃(やすあき)君といいます。 　天下泰平のように心が泰(たい)らかで、朝日のように希望に溢れた、そんな子になって欲しいと、願って名付けられた筈でした。 　だけど、大きくなるにつれて、時緒君はその名前とはまるで正反対の方向に、どんどんどんどん、進んでいってしまいました。 　二年生になり、今日も時緒君は、クラスで一番の点数を取ります。 　時緒君の頭脳はますます冴え渡り、仮面のような貌は研ぎ澄まされましたが、 時緒君の左手でコンパスが廻る度に、氷塊のようにとても近付けない冷気と、これまでの噂とが時緒君を取り囲み、時緒君に話しかけたり、近づくお友達は、誰一人いませんでした。 　ひとりぼっちの時緒君は、誰もいない放課後の教室に一人佇みました。 　独りになることは、時緒君が望んだことでした。 　だけど、時々、騒ぐのです。 　心が、ざわざわざ騒ぎ出して、堪らないのです。 　そうした時、時緒君の奥(なか)にも変化が起こりました。 　教室の中には、時緒君ひとり。 　いいえ、違います。何人かいます。 　時緒君の中には、何人かいました。 　 　いつしか時緒君は、心の中のざわざわに耐え切れなくなった時、 　心の中に、もう一人時緒君を殖やして、そのざわざわを、抑え込もうとしたのです。