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「はあ? そんな顔してないし!」
「なんだかんだ言って、千雪、キスすると、気持ちよさそうに蕩けた顔するもんな?」
「やめろよ! いちいちこういう揶揄われ方すんの、むかつく! 好きじゃない」
「揶揄ってるわけじゃない。千雪が嫌なら、キスしないだけ。そんな怖い顔じゃなくて、笑うと千雪はすごく可愛いから。笑った顔が見たいんだ。なあ?」
くっきりと刻まれた唇をにいっと吊り上げて笑う虎鉄の仕草は余裕すら感じられ、千雪はまた癪な気分になった。
(くそ、こいつのこういうとこ!!)
弟分に詫びでも入れるようにぽんぽんと千雪の頭を撫ぜ叩いて、虎鉄は千雪の布団から大きな身体をゆっくりと起こす。
「そういう軽口、ほんと、ムカつくからやめろ。幼馴染の男に対して言う台詞じゃないだろ?」
「可愛いものは可愛い。綺麗なものは綺麗だ。仕方ないだろ? 俺は正直者なんだ」
「あーもういい。ああ言えばこういう。お前最近一臣兄ちゃんに似てきてない?」
「俺が一臣に? やめてくれ。あんなにチャラついてない」
虎鉄の兄の一臣は、美容師になる夢をかなえた恋人を支えるため、彼女に実家の銭湯を継ぐべくこの店の真裏にある銭湯に婿入りした。学生時代から未だに金髪ピアスは5つばちばちに開いているチャラ男だけれど、器用で口も上手くて如才ない性格の一本筋の通った人気者だ。古びた銭湯を今風にリフォームして、地域の交流の場所としても小さな音楽イベントや落語の会を開くなどして若いお客も取り込んだ。『4代目! やり手美男子若旦那』なんて呼ばれて雑誌の銭湯の特集に組まれているほどだ。
(虎鉄、最近一臣兄さんっぽい、柔らかい雰囲気が出てきたんだよな。大人っぽくなったっていうか。余計に女の子にモテそう)
千雪はそんなふうに考えて、もやっとした気持になり、またつんと唇を尖らせたのを見て、虎鉄はまた好物でも見つけたように嬉しそうに微笑んだ。
「まあさ、千雪はそういう、つんつんした仕草も可愛いんだけどな」
「はあ? なんだよ、いつも、その上から目線!!」
ぎゃあぎゃあと喚く千雪を鷹揚な様子で愛おし気に眺めている虎鉄。
千雪には互いの距離感が大分おかしいという自覚はある。しかし千雪と虎鉄は付き合ってはいないのだ。
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