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「バイト、戻りたくねぇ」  このままずっと千雪が目覚めるまで共に微睡んでいたかった。互いに求めあった後の今ならば、素直に千雪に自分の思いのたけを伝えられる気がした。普段は何かと虎鉄と距離を置こうとしては失敗して、表情も行動もわたわたと忙しい千雪が大人しく腕の中にいる。至福のひとときに虎鉄は安らいだ気持ちになって、瞼を瞑って少し涼しくなった風から千雪を護りながら褥に横たわり考えを巡らせた。 (シーツ代えて、千雪の身体、タオル絞ってきて綺麗にしてやらないと。その辺におちてるゴムも、ティッシュで包んでゴミ箱捨てないとな。バイトから帰ってきたら、千雪を福ノ湯に入れてやろう。春先気管支炎やったもんな。風邪でも引かしたらよくない)  真裏に銭湯がある好立地の為、この古い家の狭い風呂はあまり使わずに千雪の祖父母は裏の福ノ湯の常連だった。今では虎鉄が親族にもなり、兄が趣味で作った予約制で使える黒湯の家族風呂を虎鉄は掃除の手伝いを兄と交わしていい様に使わせてもらっているのだ。 「千雪……。なあ? 今度こそ覚えていてくれてるよな? 俺の告白」  わざと千雪の頭の上に顎を載せ、返事させるようにこくっと動かすが、小さな寝息がかすかに聞こえるだけで千雪の返事を又聞けなかった。  千雪の身体を清めて布団をかけて、普段は明け放してある摺り硝子の戸をきっちりと締めた。このまま千雪をこの部屋に閉じ込めておけたらどんなにいいだろう。そんな風に思いながらまだ食事が入ったままの岡持ちを手に階段を下りていく。  二階、三階へと続く階段は、一階にある喫茶店のカウンターの内側に降りてこられる。そこには千雪の母の千秋が喫茶店の昼の営業時間がひと段落ついたようで、賄いのきのこパスタを食べているところだった。  千秋は千雪によく似た大きな目で虎鉄を一瞥すると、自らの首筋の辺りを指差して食えない美貌でにたり、と嗤う。   「色男。あんまりうちの息子いじめないでね?」 「……千雪にそっくりな顔で咎められると堪えるな」 「嘘つけ」  虎鉄は噛み痕は消えても吸われた鬱血は残っているであろう首筋を摩りながら、眉根を顰めすまなそうな素振りを見せたが、千秋は誤魔化されないぞというようにぐびっとコップの麦茶を飲み干した。

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