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ブラックナイトの不在(黒川甲斐記憶喪失編)①

 目を開けると、正岡焔がいた。  ……正岡焔が、いる? 「甲斐!よかった……」  いつもテレビ越しに見ていた整った顔がこちらに向けられている。元の姿も確かにイケメンなのだけど自分としてはどちらかというとフレイムの姿の方がカッコイイと思っている。もうすぐ三十歳にもなろうという社会人が子供のようなことを言っていていいのかとは思うけれど。いや、でも、カッコイイものはカッコイイし、炎の戦士フレイムはただの子供向け番組と侮ってはいけない。  だって自分はフレイムに生きる意味を与えてもらって、フレイムが終わった後はフレイムロスで生きた心地がしなかった。それで、フラフラと歩いていたら、トラックに轢かれて――甲斐?  正岡焔はこちらを見て「甲斐」と呼びかけなかっただろうか。甲斐って、黒川甲斐?  正岡焔の敵で、その正体は悪の組織エタニティの幹部ブラックナイトの、甲斐?  有り得ない。  自分はただの会社員で、いや、まさか。遠くの鏡に映った少年の姿が自分であるはずがない。 『異世界転生』という漫画みたいな単語が脳裏をよぎる。  そんなはずはない。だって、トラックに轢かれる前の記憶だって……記憶だって……。  だが、思い出そうとすると頭が痛むばかりで、元の自分の名前さえ思い出せない。ならばこの世界のことを思い出そうとしてみるが、自分が黒川甲斐として生きてきたようには思えない。テレビの前で見聞きしたこととしては確かに記憶が存在するのだが、黒川甲斐が何を思っていたのかがわからない。  だが自分の姿はどう見ても黒川甲斐で、目の前にいる男は正岡焔にしか見えない。  目を見開いたまま固まっている自分に、正岡焔が更に近づいてくる。気が付けば力強く抱きしめられて、え、この二人ってこういう距離感だったっけ。  そのまま正岡焔の顔がぶつかりそうになって、あ、キスされると思って。 「――ど、どちらさまでしょう」  自分の唇を手で覆い隠して、そう言うのが精一杯だった。  黒川甲斐は階段から落ちそうになった同級生を助けようとして、自分が落ちて、病院へ運ばれたらしい。らしいというのはもちろん自分にはその記憶がなかったからだ。黒川甲斐というキャラクターについての知識はあるがその記憶となると何もない。その事実に加え正岡焔への発言もあって、記憶喪失ということになった。  病院からの帰り道、焔はずっと甲斐の手を握っていた。しかも指と指を絡ませて、所謂恋人繋ぎというやつだ。振りほどきたくて堪らなかったが、有無を言わさぬ雰囲気に負けて大人しくする。それに、推しと手を繋ぐなんて、一生に一度あるかないかの出来事だ。  そういえば黒川甲斐はどこに住んでいるのだろう。テレビでは見たことがなかった気がする。焔がエスコートしてくれているようだからいつか辿り着けるのだろうけど。  そう思って、歩いていたら、見慣れたマンションが目に入る。正岡焔のマンションだ。何度もフレイムに出てきたからわかる。  推しのマンションを思わず凝視していると、焔が軽く手を引く。 「行くよ、甲斐」  そう言って歩き出した先にはそのマンションがあって。あれ、おかしいな。もしかして黒川甲斐も同じマンションに住んでいるのだろうか。だから仲が良かったのか。  案内してもらっても、カギはどこにあるんだろう。たぶん焔が持ってくれている甲斐の鞄に入っているとは思うのだけど。

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