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4章「新しい生活。僕だけではなかったんです」(1)
その日はもう夏木に抱かれることはなかった。発情期は気づけば終わっていた。
彼は部屋から姿を消してしまい、尚紀は取り残されたが、そこで長い時間を体調の回復に充てることができた。
どこにいたって、疲れていれば眠ることはできる。
尚紀はそう実感した。
それが、どんな奈落の底であっても……。
何も言わずに姿を消した夏木が部屋に戻ってきたのは、あれからどのくらい経ってからなのか。尚紀には自覚がなかったが、うつらうつらと夢と現実の狭間を何度か彷徨い、程良い睡眠をとれた後のこと。
やはり、着替えてはいたがスーツ姿で現れた。
彼に体調を聞かれて、なんでもないと答えると、身支度を整えるようにと言われる。
尚紀は頷いて、部屋の隅に放置されていた制服が目に入る。下着を身に着け、ワイシャツを纏い、パンツを穿く。そして、学ラン。慣れた手つきでファスナーを上げたが、この間制服を着たときとは、まるで状況が違ってしまったなと改めて思う。
夏木の番にされた自分はとうとうこの制服を着るにふさわしくない者になってしまったなと、これまで学校に未練など感じたことがなかったのに、しみじみと感じ入ってしまったのだ。
着替えがてらスマホを探したが、いつも入れていたポケットはもちろん、バッグの中にも、どこにもなかった。
その後、夏木に連れられて、やってきたのはそこから車で二十分ほど車で走ったマンションだった。
尚紀には訳がわからない。自分はどこに連れられていくのか話もない。
おそらく同じ横浜市内だとは思うのだが、車窓から見える風景は、見知った場所ではなかった。
夏木はエントランスのオートロックを手持ちの鍵で開け、尚紀を中に入れさせる。そして、エレベーターに乗り八階のボタンを押した。
その、勝手知ったる様子に戸惑う。自分の家に帰るような気軽さだ。
八階に到着し、その中の一室の扉を、鍵を回して開けた。
ふわりとその雰囲気に尚紀は驚く。
玄関は暖かい空気。
そして、人が住んでいることが分かる部屋の匂い。
夏木のあの部屋は無機質でそんな感じがあまりしなかったが、ここは違った。
あの部屋より暖かい。
「おい、シュウ!」
玄関で夏木がいきなり声を上げた。
はーい、と奥から軽やかな男性の声がした。
玄関に出てきたのは、細身の男性。少し癖毛で長めの茶色い髪に、髪と同じ色のフレームの眼鏡をかけている。みるからに柔らかい印象だが、尚紀よりもかなり年上の、大人の男性……。
ここはこの人の家なのだろうか。尚紀には事情がつかめない。
「こいつだ。よろしく頼むぞ」
夏木の言葉に、シュウと呼ばれた男は「はいはい」と答え、尚紀ににっこり笑った。
「いらっしゃい。どうぞ」
この人の言葉に従ってよいものか、尚紀は思わず夏木を振り返る。しかし、彼は尚紀に声をかけることはなく、また興味さえ向けることなく玄関から出ていってしまった。
驚いて背中を見送るしかない尚紀を、シュウは宥める。
「大丈夫、気にしなくていいよ」
彼に「どうぞ」と言われ、尚紀は室内に誘われた。
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