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4章(2)
その部屋は、最初の印象通りで、普通の生活が送られている、人の匂いがする部屋だった。
「その椅子にかけて」
そう言われ、キッチンにある四人がけのダイニングテーブルに躊躇いつつも腰掛ける。
夏木に「シュウ」と呼ばれていた男は、キッチンで紅茶を淹れてくれたようで、マグカップを出してくれた。
「どうぞ」
そして、尚紀の目の前に座る。
「びっくりしてるよね。僕の名前は柊一。君は?」
その優しい声に、警戒感が薄れる。
「にし、なおきです」
「ナオキだね。よろしく」
そう言われても、なにをどうよろしくするのか。
そんな疑問が顔に出たのだろう。柊一は少し困ったように微笑んだ。
「聞いてない? 君はこれから僕とここで暮らすんだよ」
尚紀は驚いて柊一の顔を見返す。柊一は苦笑している。
「あー、聞いてないっぽいね。まったく。あいつは何も話してないんだね」
あいつ、とは夏木のことだろう。
「……あの、なにも言われずにここに」
柊一は肩をすくめた。
「そっか。ここは僕の家なんだ。君は彼の番でしょう。僕もなんだ」
さらりと言われた言葉に、尚紀は驚いて固まる。
「夏木……さんの、番?」
「そう。僕と君は同じアルファを分け合う仲間だね」
仲間。
その言葉に、尚紀はなんともいえない気持ちになった。
しかし、柊一はそんな気持ちには気がついていない様子。
「で、彼がここで君を引き取ってほしいって」
尚紀は俯いた。
「そ……そう、ですか。
あの、僕……」
尚紀が小さく声にすると、柊一は何かなと顔を傾けた。
「あの……、ここでお世話になるのは分かったんですが……家にも連絡してなくて……」
その、僕の携帯……と言いかけると、柊一は曖昧に笑った。
「君が持っていなければ、多分真也……夏木が持ってるんじゃないかな。自宅に電話したいんでしょう? 今度聞いてみれば?」
「いつ来るんですか?」
んー、と柊一は考えた。
「わからないね……。基本的にこちらから連絡はあまりしないんだよね。こっちが発情期なるとやってくる感じ」
発情期という言葉と実家に連絡できないという事実に、尚紀の脳内は混乱する。
「家に連絡できないって……どうしよ」
困惑がそのまま言葉に出る。
柊一は心配そうな表情を浮かべた。
「そうだよね。高校生だもんね」
自分が制服を着ていることに今更ながら気づく。
「あ、学校も……」
「ここから通う? ご両親に連絡して」
番の指示であれば、ここに住むことは反対されないと思うから、と柊一は言う。
お家に連絡したいなら、夏木に携帯返せって僕から連絡するよ、と柊一に言われて、尚紀ははたと止まった。
この状況を、自分の口で両親に連絡するのかと改めて思ったのだ。できるのか。
身から出た錆なのだから、自分がやらねば誰がやるのだ。
でも、と躊躇う。
不意に、夏木に番にされた時の絶望感が、胸の中で不意に溢れかえる。
昨日の自分と違うだけではない。
「ナオキ?」
慌てたような表情を見せる柊一の顔が、視界が、不意に緩んだ。
もう止まらない。
ポロポロと、潤んだ目から涙が落ちる。
そうだ。自分にはもう帰る家がないんだ、と尚紀は実感したのだった。
オメガとなった、アルファの番となった自分など、西家の人々は受け入れてくれないだろう。家族と認めてくれないだろう。
西家は尚紀にとって帰る場所ではなくなった。
夏木に番にされた時点で、帰る場所を失ったのだ。
「どうしても返して欲しいなら、僕から夏木に連絡するよ?」
尚紀は、首を横に振った。
「……いいです」
そう断っても、涙は止まらない。
「んぐっ……。ふぇ……ん」
柊一は、その様子に驚いていたが、それでも尚紀を優しく抱き寄せる。
「どした? そんなに携帯が心配?」
尚紀が首を横に振る。
柊一は困ったように吐息をついた様子だったが、優しくあやしながら抱き続けてくれた。尚紀の気持ちが落ち着くまで、温かい胸の中に包まれた。
柊一からは優しい香りがしていた。
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