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5章(8)

「……実は、モデルって仕事が現実的になったのが数週間前で。それまで僕自身は考えたこともなくて……」  尚紀は信に素直に白状することにした。  すると、信は驚いた表情を見せる。 「わーお。それは意外。ここはわりと子供時代からこの業界にいる子が多かったから。本当に素人だったんだ。ラッキーだね」  本当に驚いている様子。たしかに、大型新人モデル、といってもまったくの素人をこの詰め込み型のハードなレッスンプログラムに放り込むことはしないだろう。ある程度のキャリアを積んだ、ポテンシャルがある子が対象となるはずだ。言われて尚紀も気がつく。  やはり尚紀が、いや、事務所社長の野上がおかしいのだと思う……。 「そうかもしれないです……」  ラッキーだと。運だよなと尚紀は思う。  夏木の番だから。彼が野上とのパイプを持っていたからだ。  しかし、信はもちろん、ほかのメンバーも幼い頃からいろいろと努力をしてきたのだろうと想像できる。……自分はなぜかそこに放り込まれたのだと、少しナーバスな気分になった。  しかし、信からは思いもよらぬ言葉。 「でも、運も実力のうちだからな」  信を見ると、彼はにっこりと笑う。彼の端正な顔立ちが笑うと、すごい威力だ。 「それに、君はここに入れられても大丈夫っていう判断があったってことだ。それはそれですごいことだと思うよ。  ただ、傍目から見るとラッキーだから、ほかのメンバーに言わないほうがいいけどね」  妬みを買うこともあるしね、と信は親切に教えてくれる。  信はそうではないということか……。 「でも、早めに見つけた方がいいな、目標は。どこにチャンスが転がっているかなんて分からないからね」  信はどこまでも前向きな考え方をすると尚紀は思った。 「あなたの目標は?」  尚紀がそう信に聞く。すると、彼は目をきらきらとさせて、一言言った。 「俺は、将来的にはパリを拠点にしたい」 「パリ? フランスの?」  大きく頷く。 「そう。おれは世界で活躍するショーモデルになる」  そもそもメンズモデルで世界的に活躍できるショーモデルなど、絶対数が少なく、選ばれた者のみの世界。彼は、その世界に飛び込むと言っているのだ。  尚紀は胸を貫かれるようなショックを受けた。思わず信を見る。  まだデビューさえしていない新人だ。彼がこれまで何をしてきたのかは尚紀は知らない。さっきの話からも、この集中レッスンに放り込まれたということは、それなりに将来を期待されているのだろうが、ここがスタートラインであることは確かだ。そう考えると目標までは程遠いのに、彼の口調は憧れを語っているわけではなく、明解な射程距離として捉えている目標に聞こえた。  すごい、というのは違うだろうと尚紀は咄嗟に思った。  しかし、今の自分の立ち位置から考えると、世界的なショーモデルを目指すといっても鼻で笑われるに違いない。だけど、信が言うと、それは実現可能な目標に聞こえるのだ。 「信……さんなら、行けそうな気がする」  尚紀が思わずポロリとそのような感想を漏らすと、信は少し照れくさそうに笑みを浮かべたが、こう言い切った。 「行けそうじゃなくて、行くんだよ。目標を掲げて、そこまでの道のり描くんだ。尚紀、自分の努力に自信を持て」  信はそう言って、尚紀を励ました。

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