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5章(9)

 尚紀が信に話しかけられたその日を境に、二人の距離は急速に縮まった。  レッスンが終わってから、尚紀は信と様々なことを話した。信は彼自身が言っていたように、子供の頃から芸能事務所に所属して、さまざまな活動をしてきたらしい。そのなかで、今後の自分のキャリアを考えた時に、彼はモデル、という仕事を選び、大手のモデルエージェンシーに移籍した。  彼にとっては覚悟の選択といえた。  きっかけは、若者向けのイベントでモデルを務めたことだったという。これまであまり興味がなかったが、一つのショーを作り上げるパッションやみなぎる緊張感に刺激され、魅了されたと言っていた。  信もまた一つの決意があって、ここにいた。  彼はもともとストイックな性格で、一心不乱に努力を重ねるタイプ。己と真摯に向き合うため周りを見る暇がないせいか、他人と比べることが少なく、自分の努力を信じているため嫉妬とも縁遠い性格だった。優等生タイプで鬱陶しいと思われることもあったが、尚紀からみると清々しい性格のため、付き合いやすかった。  「僕は、常に求められるモデルになりたい」  一番最初に信に問われた質問に、尚紀がそのように回答すると、信は意外そうな表情を見せた。 「尚紀自身が『こうなりたい』っていうビジョンがあるわけではないんだ」  珍しいね、と信は頷いた。もともとモデルを志望するようなタイプでは、受け身なのは珍しいという。 「求められる形になりたいということかな。でも、尚紀らしいかな」  と信は笑った。 「僕は、信さん達とは違って、この業界に精通しているわけではないですから。自分ができることを、着実にこなしていった先に、僕自身の目標が見えるのかもしれないと思うんです」  信さん、と尚紀は呼びかける。 「僕は番から自立したいんです。食いっぱぐれないモデルになりたい。そう考えた時に、常に必要とされるモデルになりたいって思ったんです」  なるほど、と信は真剣な表情で頷いた。 「変ですかね?」  尚紀が少し不安に思ってそう問いかけると、信はそんなことはないと否定した。 「おれは、モデルにとって番という存在はリスクにしか見えない。だから尚紀がそう思うのは自然だと思う」  信によると、男女問わずオメガのモデルは多いらしい。信自身もオメガだ。しかし、彼に番はいないし、将来的に作ることも考えていないという。  信にとって、この仕事を常に最高のコンディションでこなしていくには、番契約を交わし、番のアルファにその身をゆだねる必要がある番関係は、リスクそのものだと考えているようだ。  プロ意識が高い信らしい考え方だと尚紀は思った。  言われてみれば、オメガは常に番のアルファに影響を受けている。三ヶ月に一度と言われる発情期だってそうだし、もしアルファと死別した場合、番契約は解消されると言われてはいるが、行き別れた場合のオメガの苦しみは大きいとされている。そんなリスクを考えても、三ヶ月に一度の頻度で見舞われる発情期と長く付き合うのであれば番がいる方が楽に過ごせるのでは? とも思う。 「最近は効き目がいい抑制剤もあるみたいだし、さほど辛い思いをせずとも乗り越えられる。それにおれはもともと第二の性の影響を受けにくいみたいで、発情期も軽いんだ」  信は言った。  なるほど、発情期の心配がすくなければそうであれば番がいない方が自由だろう。  ……自分にはもう何もかもが遅い、すでにない選択肢ではあるのだけど。 「尚紀だって、経済的に自立をすれば、番から一つ自由になれるんだろ」  信にそう言われて、尚紀は気を取り直して頷いた。その通りだった。

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