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5章(10)

「尚紀はどうしてその年で番契約を交わしたの?」    同じレッスンプログラムを受けているメンバーの中で、番がいるのは尚紀だけだった。多くが二十歳前後であり、幼い頃から事務所に所属してきたプロでもある。番がいるほうが珍しいだろう。そんなこともあり、番契約についてストレートな質問を受けることもあった。  ある時、昼休み中に尚紀は同じレッスンを受けるメンバーから、そのような問いかけをされた。  さすがに答えに窮した。  なんと答えればいいだろう。馬鹿正直に答えてはならないのはわかる。でも、番のことを掘り下げられたりすると……かなり困る。夏木のことを言及されると、ろくな言葉が出てこなさそうだし。当たり障りのない返事ははいだろうか。  尚紀が困っていると、助け舟を出してくれたのは信だった。 「尚紀は発情期が重いんだってさ。だから番がいた方が、体調が安定するらしい」  発情期かあ、とそのメンバーは素直に納得した。 「大変だよね、発情期。ぼくも初めての時トラウマになりそうだったもん」 「やっぱり番がいると楽になるものなの?」 「今、発情期を抜けるのって何日くらいかかる?」  そんな質問に、尚紀は少し考える。夏木を利用して最低限かつ最短で発情期を抜けるという目論見は、少しずつ効果を発揮してきている。 「僕は最短で離脱したいと思って、三日か四日くらいかな」 「えー、そんなに早いの! 重かったんだよね?」 「……う、うん」 「番と相性がよかったんじゃない?」 「……そ、そうなのかな」 「ラッキーだね。一生よく効く抑制剤を手に入れたようなものだよ」  その言葉を聞いて、尚紀はあはっと笑った。愉快な気分だった。天下のアルファを抑制剤代わりにするのか。あの夏木を。 「抑制剤! そんなことを考えたことなかった」  ちょっと楽しくなってきた。尚紀がずっと畏れてきた番も、彼らにしてみればその程度なのだ。  尚紀がそんなふうに声を弾ませると、周りの空気が変わった。  信の助けを借りて、尚紀はすこしずつ、このプログラムのメンバーとも打ち解けられるようになっていったのだった。  レッスンプログラムの期間中、尚紀がひそかに気に入っていたのは電車での移動だった。  自分で電車に乗ってスタジオに通うのが新鮮で、自由を得た気分になった。  夏木によって番にされる前、高校に通っていた頃は電車通学は毎日当たり前のことだったが、それがいきなり奪われて二年。あの頃に少しずつ思いを馳せることができるようになってきた。    高校三年生に上がった頃、うまくいかない家族関係と居場所がない学校で、自分の身の置き所が分からなかった。自分なんてどこにも、誰にも必要とされていないのではないかとさえ思っていた。  オメガとわかってからは、将来に展望なんて何もなかったし、目標も見つからなかった。燻っていたと言っていい。  その頃に比べれば、今は充実していて生きている実感があった。レッスンが終わって帰宅すれば、柊一と達也が待ってくれている。信をはじめとして、共に目指す仲間でありライバルもできた。そしてモデルとして自立するという目標もある。  あの頃に比べれば、前を向いて生きている実感がある。  充実感もあった。 「メンズモデルは女性とは違い、メイクで調えることはできない。内面が問われるの。これまで何を考えて、どのような経験を積んできたのか、ウォーキングやポージングだでけはなく、一挙一動にそれが現れるわ」  いつか、野上に言われた言葉が尚紀の脳裏に蘇る。  そう考えれば、確実に昔より今の方がいい。  ただ、その環境を提供したのが全て、自分の番である夏木真也であるというところが複雑な気分にさせるのだが。    尚紀は、各事務所の期待の新人が揃う中、なんと同期六人の中でトップの成績でモデルレッスンプログラムを修了し、野上を感嘆させた。  この結果には誰もが驚いたし、とくに僅差だった次席の信は大いに悔しがった。しかし、自分の努力を信じている信は、いつかお前を抜いてやると宣言し、二人で硬い握手を交わしだのだ。  信は今後、ショーモデルとしてのオーディションにも積極的に参加していくらしい。  尚紀はその翌月、新人モデル「ナオキ」として、発行部数四十万部を誇る女性誌「ヴォイス」のグラビアを突然飾り、鮮烈なデビューを果たしたのだった。

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