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8章(7)
夏木の死後、発情期は尚紀には全く来なくなったが、柊一には定期的に訪れる。そのたびに柊一は、夏木を求めて泣き、彼の香りを求めて巣を作るために徘徊し、決して満たされない欲を発散させて、体力も尽きて気を失う。
達也がいつだったか、メンタルに来ると言っていたが、尚紀もそれを実感していた。
発情期の柊一を一人にするわけにはいかず、尚紀は都内のマンションではなく、昔のように横浜から現場に通うことも多くなった。
仕事の合間には、柊一に連絡を入れる。
とにかく彼を一人きりにするのが怖かった。
尚紀の生活を見かねたマネージャーの庄司が、番を失ったオメガの精神症状について調べてくれた。すると、そのような境遇に陥ったオメガには、発情期を死んだ番との逢瀬と捉えるような精神状況に追い込まれることがあるという。
でも、尚紀からすると、それは錯覚なのではないかとさえ感じてしまう。見ていると、とても辛そうだし、体力も奪われていっているようだ。それは本人も知らず知らずのうちに生きる意思さえも失われてしまいそうで……、とにかく尚紀は危うさを感じていた。
大きな病院には「アルファ・オメガ科」という専門科があるらしい。尚紀はまったく知らなかったが、これもマネージャーの庄司が教えてくれた。
そこであれば、柊一の体調不良も改善するかもしれないし、なにより彼自身が自分のメンタルや体調がおかしいことに気づいてもらえる。
「シュウさん。発情期、辛そうだから、病院で診察を受けてみない?」
大きな病院だと専門の診療科があるらしくて、少し診てもらえば安心するし、楽になると思うよ、と軽い口調で誘ってみた。
「僕、健康保険入ってないのよ。それに発情期はオメガとして自然なことだし、病院に行ってもどうにもなるものではないでしょ? 大丈夫だよ。ナオキは心配性だね」
柊一は、体調が良い時はそのようにやんわりと拒絶した。
現に、柊一は発情期を辛いと思っている様子ではないようだった。発情期が来ることで、すでにこの世にはいない夏木といまだに縁が繋がっていると思っていて、発情期のときは夏木が側にいてくれているような幸せな気持ちになるらしい。
だからだろうか、尚紀が度々病院に行こうと誘うが、次第に柊一の態度は頑なになり、その本音を疑うようになった。
「尚紀は発情期が来ないから、分からないものね」
尚紀にとって自分に発情期が来ないことで困ることはなかったが、ことあるごとにそのように柊一に当てられることが多くなった。
彼にとって発情期は、今は亡き番の存在を感じられる唯一の逢瀬といってもいいのかもしれなかった。
それはすなわち……と、尚紀は陰鬱な気持ちになる。
「シュウさんは夏木に半分あっちにもってかれている」
そんな達也の声が脳裏に蘇るのを、尚紀は首を横に振って散らすしかない。
とはいえ、柊一の状態は一進一退。
不安と心配が最高潮に達した尚紀は、柊一にかなり強い姿勢で受診を迫った。
「ねえ、病院行こ! じゃないとシュウさんいつか動けなくなっちゃうよ……」
尚紀はそう促すと、柊一はこれまで見たことがないような、不快な表情を見せた。
「そうだよね。尚紀は心置きなく仕事したいよね! だから、僕なんて放っておいていいよ」
そんな柊一との生活に、尚紀も少しずつ疲労を感じながら季節は移ろっていく。
これまでを振り返る。達也との関係が悪化し、毎年恒例の柊一の誕生日を祝うことができなかった晩秋。
そして、発情期をきっかけに、関係が悪化し、とうとう達也がマンションを出、決別した年末。
尚紀自身、少しずつ分かり合えなくなり、仕事が手につかない柊一をなんとか支えながらも、気がつけば桜が咲く時期になっていて、自分の誕生日さえも忘れていた、春。
尚紀は、二十五歳になっていた。
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