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8章(8)

 あれだけ楽しかったオメガ三人の共同生活は、番の死から一年とたたず、簡単に完全崩壊していた。  この生活はいつまで続くのだろう。  達也が去ってから、横浜のマンションという帰るべき温かい我が家を、尚紀も失った。  プライベートでは柊一の発情期の周期と体調に振り回されながらも、モデルとしての尚紀は着実にキャリアを重ねつつあった。  夏木を失った頃にスタートした精華コスメティクスのメンズラインのプロモーションは、少しずつ成果が現れてきていて、露出が増えている。  特に、尚紀が担当するヘアケア製品は、製品力とプロモーションがうまく噛みあったようで、ロングヒットを飛ばしていた。    商品の露出が増え、売れるたびに、尚紀の顔も世間に知られていく。  最初はメインプロダクトからは外れた小さなプロジェクトだったはずなのに、長引く反響にクライアントも本腰を入れ始め、一般消費者の目につきやすい、CMスポットや雑誌、屋外広告なども展開し始めた。  尚紀が担当するヘアケア製品は「シオン」というブランド名で、香水のような良い香りがするシャンプーやコンディショナーといった、メンズラインでは珍しい、香りに着目したアイテムだった。  商品の物珍しさに加え、爽やかながらも少し影が見えるセクシーさが伺える香りが人気で、リピーターが増えている。  シオンシリーズの販売チャンネルも増えて、当初はネット通販が主体だったものが、気がつけば一般ドラッグストアでも取り扱われるようになり、売上はプロモーションを始めたころから比べると桁が変わっているらしい。  メンズフレグランスヘアケアという新たなジャンルを開拓しつつある商品に成長していた。 「いいねえ、いい顔をしている」  撮れたてほやほやのシーンを、このプロモーションを当初から請け負っている五十代の監督がチェックしてそう唸る。 「ナオキ、ほれ。いい顔してるな、お前さん」  カメラをチェックしているその表情は満足気で、尚紀は内心で安堵した。正直、自分の実力以上の表現を求められている気がしていて、きちんと応えられているのか少し不安だった。チャレンジであるとは思っていたし、それはやり甲斐も感じているが、その反応を見て、自分はしっかり役割を果たせたのだと思えた。  三十秒のスポットCMと聞いている。  右上にコンマ数秒のカウントが流れる中、先ほど撮影したナイトプールの風景が映し出される。  プールの水滴が滴れる尚紀が女性の声で振り向き、髪を掻き上げる。そして向ける、誘うような魅惑的な視線。  この商品のメインである香りを、尚紀の表情で表現したい、というのがクライアントの意向だった。  男性的で、魅力的。爽やかだけどセクシー。  どう見せれば、この香りの魅力が消費者にきちんと伝わるか。そして、印象的に残るか。  そこがこのプロモーションの成否を決めると思われていた。   「お前さんは巧いなあ。何を求められているのか咄嗟にかぎ分けることができるんだろう。それはセンスだな」  夏木の気まぐれでこの仕事を始めたようなものだったが、メンズモデルという仕事は尚紀にとって、少しずつ自分の要素の一つとして形成されるようになり、今では欠かせないものになっていた。  そのように評価されると、嬉しい。

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