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8章(9)
「嬉しいです。ありがとうございます」
尚紀の素直で無邪気な反応に、本当にさっきのシーン、ホントに君が演ったの? とプランナーから冗談が飛ぶ。
シーズンごとに集まっては作品を作り上げているためか、すでに互いに気心が知れていて、打ち解けた和やかな雰囲気の現場だ。
そういえば……と監督が思い出したように尚紀を見上げる。
「番が亡くなった、って聞いたけど、大丈夫?」
監督は声を顰めて尚紀に尋ねた。この現場の関係者には言っていないので、どこでその情報を仕入れてきたのだろうと不思議に思った。以前から番がいることは公言していたし、相手が夏木であることを知る人もいた。彼の死はニュースになるほどの事件でもあったし、察しのいい人であれば、尚紀が置かれた状況に気づいている可能性もある。
少し驚いたような表情をすると、監督はお宅の社長からね、と言って唇に人差し指を当てた。
業界なんていっても狭いものだ。野上と面識があるらしい。尚紀は頷いた。
「ええ。実は」
「それは辛いことだね。お悔やみ申し上げます。大切な人を亡くされて辛いと思うけど、体調とかは大丈夫なのか?」
そう心配されることが少しこそばゆい気分になる。
「ええ、大丈夫です。このプロジェクトが始まった頃でしたし……」
そうかと監督が頷いた。
「それは弱みを見せられない時期だったね」
体調不良や不安定さを見せれば、このチャンスを潰してしまう可能性だってあった。
振り返れば、尚紀自身は自覚がなかったが、あの時期がモデルとして一つの正念場だったのかもしれない。
「こちらはナオキが変わらないから、全く気が付かなかった」
そのように言われた。多分、それは項の噛み跡も含めて変化がなかったからだと言いたいのだろう。
「僕自身は今のところ元気です。ただ、番を失うと消えるはずの項の噛み跡が消えないので、どうしたものかと。少し困っています」
監督は頷いた。はっきりは聞いたことはないが、この人はベータなのだろう。
「普通は、番契約で付けられた噛み跡って相手が亡くなると消えるっていう話だよね」
「一般的にはそうらしいですが……」
でも、三人のうちで消えたのは、達也だけだった。
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