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8章(10)

「オメガの人たちは大変だな。番の跡が消えないと、君たちは新たな相手を探すことはできないんだよね。  困ったね。早く消えてほしいものだね」  待っていれば、いずれ消えてくれるものなのだろうか。尚紀には判断がつかない。  ただ、監督から同情的な言葉をかけられて尚紀は少し戸惑っていた。 「病院には行ったのかい?」 「いいえ」 「そうか。アルファやオメガの人たちは、大きな病院に行くと専門科があるらしいから、相談してみたらどう?」  親身になってかけられる優しい言葉に、尚紀の中で思わず感謝の気持ちが溢れた。 「あの、ありがとうございます」 「は? なんの礼?」  言われてみれば、こんなふうにあまり他人から親身になって心配されたことがない人生だったような気がしたのだ。 「僕、あまり人に心配された経験がなくて……。こんなふうに相談に乗ってもらえることも」  だから、単純に嬉しいんです、と素直な本音がついて出る。 「おいおい」  監督が苦笑する。 「俺は結構心配して見ているよ。付き合いもそれなりに長くなったしね」  尚紀も頷く。こんなに長く一つの案件に携わったのは初めてだった。 「精華コスメさんのお仕事も長くなりましたしね」 「そうだね。この仕事は、もうナオキじゃないと難しいんじゃないかな。ブランドとナオキというモデルが強く結びついているからね。ナオキ自身が商売道具なのだから、自分を大事にしてほしいな」  そんな言葉をかけられる。 「この仕事は、もうナオキじゃないと難しい」  そんなふうに評価されたのは、尚紀にとって思いもよらないことで。  いつの間にか「自分でなければ難しい仕事」と出会い、そのように評価されるようになっていたらしい。  僕は常に求められるモデルになりたい。  そう信に話したのはいつだったか。  そう、最初のレッスンプログラムの時だ。どんなモデルになりたいのかと問われ、自分ができることをこなしていった先に見える世界を求めていた。  少しずつ自分は成長していると実感できる。それは尚紀にとって、思った以上に嬉しいことだった。  夏木を失い、達也と決別して、そして唯一残った柊一との関係は限界に近い状態だ。  何も残らないのではないかと思っていたのに、こんなところに、一つ希望が残っていたように思えた。 「あれ……」  尚紀の目から、ぽろりと涙が一粒。 「おいおい」  尚紀の想像以上の反応に、監督は苦笑ぎみ。  まだ撮影はあるのだから、泣いたらダメなのだけど、そう考えれば考えるほどに、尚紀の目からはぽろぽろと意思とは関係がなく涙が落ちる。 「あ、ごめんなさい……」  泣きたいわけではないけれど、尚紀は報われた気分になっていた。  野上から何を聞いているのか知らないが、監督が尚紀の涙をハンカチで拭って言う。 「今は辛い時期かもしれない。でも、これまでの経験だって今だって、すべてひっくるめて今のナオキを形成しているんだよ」    尚紀は借りたハンカチで目を押さえて、無言で頷く。 「なんか今、いろいろ大変だとは聞いている。辛いかもしれないけど、それだって自分のものにする強さをナオキは持ってるだろ。  もちろん、ひとりで苦しむ必要なんてない。しんどかったら周りに遠慮なく頼れ。心配している大人はたくさんいることを忘れずにな」  夏木を失い、三人の番は夏木の関係者からはいないものとされた。三人で生き抜かなければならないと決意を固めた。だけど、それも結果として難しくて、八方塞がりのような気持ちになっていた。しかし、そうではないのかもしれない。 「はい……」  だけど監督は、ナオキは一人で抱えそうだから心配だよと苦笑した。

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