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8章(12)

「ナオキはすごいねえ」  柊一はしみじみ言った。歩いていて度々振り返られたり、声をかけられて握手を求められたからだ。 「モデルのナオキさんですか?」  普段は電車で通勤していても声をかけられることはほとんどないことなのに、気持ちが良い陽気で、街を歩く人も多かったせいか、その日に限って尚紀もあまりない経験をした。そんな光景を間近で見た柊一は、すっかり有名になった尚紀に感心していた。 「そういえばさっきCMが流れていたものね」  行きの地下鉄の中で電車内のテレビ広告に偶然、尚紀がプロモーションを担当する精華コスメティクスの「シオン」の広告が流れたのだ。それを見た柊一が驚いた声を上げた。 「ナオキ、いつの間にこんな広告に?」  あまり仕事については話さないので、柊一をびっくりさせたみたいで、尚紀は小さくなったのだった。  二人で海を見渡せるベンチが空いていたので休憩がてら座る。 「今日は楽しかったよ。ありがとう」  そう久しぶりに柊一に笑顔で言われて尚紀は嬉しくなった。 「シュウさん、今日は体調良さそうだもんね。また一緒にデートしようね」  尚紀がそういうと、柊一はうれしそうに頷いた。 「ナオキを独り占めか〜。それもいいね」  柊一は言う。今日はとても楽しかった、と。 「シュウさんは、何か用事があったわけじゃないの?」  尚紀が柊一にそのように問う。この街に行きたいと言ったのは柊一だが、尚紀と一緒にてくてく散歩しただけで、特段なにかの目的をあるようには思えなかったのだ。  柊一は頷く。 「うん。天気もいいしこの街を歩きたいなって思ったの。目まぐるしく変わるから、見ておきたいなって。  ……昔ね、結構このあたりを歩いたんだよ、真也と。想像していたよりも変わってなくて、なんか安心した」  だからか、と尚紀は納得した。  腹ごなしで散歩をしている間、柊一は街並みばかりを見ていた。信号で立ち止まると空を仰いで深呼吸をして、周りを見渡して、満足げに頷いていた。  そんなふうに、二人で歩いたのだろうと、尚紀にも容易に想像できた。  尚紀自身にとって夏木との記憶はいいものではなかったが、柊一にはやはり懐かしく愛おしい思い出が多いのだろうと思う。  発情期に頼るだけでなく、街歩きでも番を思い出すことができれば、少しずつ柊一の気持ちも安定して、体調も整ってくるかもしれないと尚紀は考えついた。

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