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8章(23)
なんで、どうして、今更。
フェロモンに支配され、欲望まみれになった頭でも、そんなことを頭の端で考えるだけの余裕があったらしい。
疑問と後悔のなかで欲望まみれになり、尚紀は発情期におぼれていた。
遺体の身元確認を終え、ようやく明け方に部屋に戻って来た。
柊一の部屋を改める元気もないまま、着のみ着のままで尚紀は自室の布団に倒れた。
ひどく疲れていて、そのまま意識を失うように睡魔に飲まれていった。
その次に目が覚めた時は、すでに陽が落ちていた。暗い室内で異変を感じたのは嗅覚。ひどくなにかが匂う感じ。
すん、と匂いを探る感じで鼻を利かせると、その正体に気が付き、身が凍った。
それは、しばらく感じていなかった、自分の香りだった。
とっさに自分の腕に鼻を寄せる。くんくんと嗅ぐ。記憶のある香りがする。
そして目が覚めてくると異変を自覚した。少しぼんやりと熱っぽくて、思考に靄がかかり始めたような、少しもどかしい感じ。
それは尚紀の記憶にもある、発情期の前兆症状だった。
迷っている暇などはなくて、頭の靄を無理矢理は払い去り、尚紀はスマホを掴んでマネージャーの庄司に連絡を入れる。
事情を説明し、これから数日間の全てを託す。自分は部屋にこもるほかない。
尚紀の説明に庄司も驚いた。
「大丈夫なの? そちらに行こうか?」
そんな庄司の気遣いは丁重に遠慮した。
「……だいじょうぶです……。落ち着いたら連絡します……」
どうしたって、人に見られたい姿ではない。
……自分は柊一のことを気安くお願いしてしまったので、身勝手な言い分だとは思うけど。
そう強がったものの、一人で越える初めての発情期に不安しかなかった。
尚紀の不安は的中した。
どんなに泣いても求めても、目の前に自分の欲を満たしてくれる人がいないというのが、番を失ったオメガの発情期だった。
己を慰めて、肉体的な快楽にふけり、絶頂に達しても、それだけでは満たされない。
身体の欲望は満たされないまま、求める気持ちだけが大きくなって、心身ともに疲弊していく、そんな時間だった。
安心できる番の香りが欲しいのに、それは近くにはない。求めて彷徨っても、決してその安堵できる香りに辿り着くことはない。
求めるその香りの記憶さえ見失いそうになり、尚紀は半狂乱になる。
番に抱かれるのは嫌だった。
夏木は怖かったし、逆らえない。
だけど、それは番だから仕方がないことだと思っていた。
それは不幸な出来事であると。自分の境遇を少し呪っていたのかもしれない。
だけど、違う気がする。どのような関係性の番でも一緒にいた方が幸福であるのだ。
番のぬくもりと香りを求めて、渇望の中で欲を発散して、わずかのタイミングで正気に戻るもののの、自分にはすでに番がいないと実感する。片翼を失っていたと実感するときの重たさ。
柊一はこんな発情期をずっと独りで乗り越えていたのだ。わかっていたけどわかっていなかった。
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