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9章(6)

 番。  想像していた言葉をストレートに言われて、尚紀は思わず息を呑んだ。 「大丈夫? ナオキ」  野上にそう言われて、尚紀は廉ではなく、野上の手を取って立ち上がった。 「すみません……」  驚きすぎて、と言い訳をする。 「そんなに驚くとは思わなかったわ」  野上にそう言われて、自分が過剰反応だったかと思う。  いや、すでに死去したとはいえ番がいる身で、本能が判断するような番に出会い、それが学生時代の初恋の相手であったというのだから、驚かない方がおかしい。 「普通にびっくりします……」  そう言葉短く反論した。  だって、番とかそういう話は置いておいても、この人は学生時代の先輩なのだから、なぜここにいて、自分を訪ねてきたのか、想像もつかない。 「そう」 「……社長?」  尚紀が顔を上げると、野上が穏やかな表情を浮かべている。尚紀が持つ、社長のイメージは好戦的で勝気なもの。 「貴方に面識がないのであれば、この話は終わり、だったのだけど。そうなの、知り合いなのね」  尚紀は江上を見る。彼は変わらず優しいまなざしを浮かべている。  尚紀の記憶にあるこの人は、普通の男子高校生だった。毎日が楽しそうで、時には友人とはしゃいだり、つるんだり……。  あの頃に比べて、少し落ち着いたような印象で。それがまた、かっこいいとあの頃の自分だったらすこしミーハーじみた気持ちになるかもしれない。  だけど、今はそれだけの気持ちではなくて。  もっと、ドキドキしている。  とはいえ、自分の立場はあの頃のままではない。今は亡き夏木真也の番で、彼の死後もあの噛み跡はずっと残っていて、先日とうとう、夏木は居ないにも関わらず、置き土産のように発情期が来て、死してなお彼の支配下にあると自覚したばかりなのに。  この目の前の優しげな……初恋の人を、番だと直感してしまって、混乱している。  まるで悪夢でも見ているような気分なのだ。 「すみません……。僕、混乱してて……」  尚紀がそう呟いて、顔を手のひらで覆う。  嘘ではなかった。 「急に訪ねたりして申し訳なかった」  廉にそう謝られて、尚紀の胸がなぜか痛む。とっさに首を横に振る。が、どうしても気持ちが追いつかなくて、顔を上げることができない。 「いえ、こちらこそ、すみません……」 「謝らなくていいよ」   「あの……、改めてご連絡する形でよいでしょうか」  そう尚紀が問うと、廉は少し考え優しく頷いた。 「わかった」  そう言って、スーツの内ポケットから名刺を取り出す。そこに、何かを書きつけて、尚紀に握らせる。  温かい手に取られて、尚紀は息が止まるかと思った。この人に触られるだけで、嬉しさと安堵感が込み上げる。  夏木の番の跡は残っているのに、フェロモンは夏木に反応しているのに、この人といると気持ちが綻ぶ。   「連絡を待ってる」  そう見つめられて、尚紀は息を詰めた。

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