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9章(7)
コートを手にして部屋を後にする江上を見送るために、庄司も一緒に出て行った。
室内には野上と尚紀の二人きり。
渡された名刺を見ると、きっちりとした書体で書かれた「江上廉」という名前が目に入った。
添えられているのは株式会社森生メディカル、秘書室長、という肩書。「メディカル」って、医療関係の会社なのだろうか。そんな会社の秘書室長だなんてすごい。
その名刺の余白に、端正な筆跡でメッセージアプリのIDとプライベートの電話番号が書き添えてあった。電話番号の下にはメッセージも。
「電話は非通知発信でもいいよ!」
この一言を添えてくれた廉の心遣いに、尚紀の気持ちが揺れる。突然現れた学生時代の先輩という相手に、尚紀が大いに戸惑い、そして警戒していることを理解しているのだと思う。なんて優しい人だろう。
この名刺には優しい気遣いが込められているような気がして、尚紀はジャケットの内ポケットに大切に収めた。
本当なら捨ててしまったほうがいいのかもしれないが、そんなことは到底できなかった。
まさか、直筆のこんな優しいメッセージがもらえるなんて、とも思ってしまう。
自分が最後にあの人を見たのは、おそらく高校一年生の時。卒業式の日の午後、教室から下校を見送った。背筋がすらりとした後ろ姿を、もやもやした気持ちで見つめた。下校する長身の背中は相変わらず格好良かったが、それを呼び止める勇気がなかったことをよく覚えている……。
「どうするの? 先輩行っちゃうよ?」
そのようにクラスメイトから決断を迫られた。
そう問われてもなお、あの時脚は動かなかった。半分以上の諦めの気持ちのなかで、もう会うことはないだろうと思った。同じ学校に通っているという共通点を失った後に、人生が交わることなんてないと思っていた。
あの時、廉に対して抱いていたのは純粋な憧れだった。優しくてカッコよくて……あんな人に興味を向けられたい……そんな能天気な気持ちだった。
こんな、本能が揺さぶられるような気持ちになるなんてなかったのに。
人生って不思議だ。
ふとあの時のことが記憶に蘇った。
あの時書いた手紙はどうしたのだったっけと思い当たる。
多分、捨ててしまったのだろうなと思う。
あんなに一生懸命書いたのに。
手紙にすべての気持ちを投入したというわけではなかったと思うが、あの時はいろいろ諦めて、手紙も捨ててしまったのだ。
「大丈夫? ずいぶん驚いていたわね」
野上の気遣う言葉に、尚紀は思わず俯いた。
「すみません……。僕には驚きしかなくて」
野上が尚紀の肩に触れる。
「まあいいわ、とりあえず、ソファにお掛けさないな」
そう言われて、室内のソファに誘われる。ふかふかの座り心地のソファに腰を落ち着けてから尚紀は気づく。
しまった。部屋を出るチャンスを逃した。
しかし、それは後の祭り。
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