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10章(5)

 正月に見舞われた不定期な発情期は三日ほどで症状が治ったものの、尚紀は数日間動けなかった。  心配した庄司が様子を見に来てくれたが、尚紀はほとんど眠れず、水分も栄養も取れずに体力を使い果たしてしまったのだ。  まずい。これでは仕事もままならないと危機感が出てきた。  そこから数日間は体調を整えることに専念し、松が明ける頃の初仕事には、なんとか間に合わせることができた。  前回の発情期からまだ一月も経っていない。こんなに短いスパンで発情期がやってきたことなど、これまでなかった。  とはいえ、番を亡くしてから一年半以上発情期が来なくて、前回とそして今回。不定期な発情期は、これまでと比べて身体が帳尻を合わせようとしているような感じさえする。  でも、こんなふうに不定期に発情期が来ては、仕事の調整も難しい。次はいつになるのか、どうにかしないと……、という焦りも感じ始めていた。 「体調は……風邪はもう大丈夫?」  目の前の優しい人は、少し厚着の尚紀を気遣ってくれる。本人はウールのチェスターコートをスマートに着こなしていて、おしゃれな人たちがたくさんいるこの街でも存在感があった。  眼鏡の奥の目が優しい光を湛えている。  正月が明けて暫く経った成人式の午後。尚紀はようやく廉に会うことができた。  場所は、六本木ヒルズ。尚紀が港区のマンションに一人暮らしをしているとどこからか聞いたらしく、家から近い場所をセッティングしてくれたようだった。  自宅マンションのことは尚紀は話していないので、おそらく社長の野上だろう……。 「……ありがとうございます。すっかりとはいかないですが、だいぶ良くなりました」  尚紀はなるべく声に力を入れて、言葉に気を込めた。心配をかけたくなかった。  尚紀が咄嗟に言い訳した「風邪」という嘘を、廉は信じている様子だった。  番でもないアルファに発情期であることを告げるのは、やはり少し躊躇いがあるものだ。  そもそも、声高々に言うことでもない。  廉が高層階への直接エレベーターのチケットを渡してくれる。  すみません、と尚紀が財布を出そうとすると、廉がその手を留めた。 「俺が付き合ってもらっているんだからいいんだよ」  とだけ言った。  そのまま高層階直通のエレベーターに乗り込む。  この高層ビルの展望台に行かないかと誘われたのだ。天気が良い日は都内を一望できるらしい。今日は快晴で、展望台に上がる人も結構いるみたいだ。  身体にぐっと負荷がかかるような感じがして、エレベーターが急速に上昇していくのが尚紀にもわかった。  このエレベーターの急上昇はどこかワクワクする。尚紀にはあまり経験がないもの。これまでこのような高層タワーや展望ビルには縁がなかった。  低学年まで育ててくれたオメガの母は身体が弱く、このような場所に連れてきてくれるような体力はあまりなかったし、母の死後引き取られた西家の人々は忙し過ぎて、このような場所とは無縁だった。  夏木はもちろんだったし、柊一や達也とも敢えて上ろうということはなかった。  考えてみれば、小学生の社会科見学で横浜マリンタワーに上ったのが最後かもしれない。  そう思うと、貴重な経験だし、廉が隣にいること自体がおそらくもうこれが最後。  忘れないようにしようと、尚紀は改めて強く思った。

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