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11章(24)
番の香りは大切にされるものだと、この入院で尚紀は学んだ。
特別室に入院するときに、番の香りが付着した衣服などを持ち込むことができると聞いたし、番を亡くしたオメガにはアルファの香りに似せたアロマオイルやポプリ、フレグランスを調合してくれるサービスもあると聞いた。
そして颯真がしきりに番の香りに言及するのだ。尚紀だって察するところはある。
香りは番との大切な絆の一つ。だけど、それでも自分には不要だと思う。
「そっか」
颯真はそのように軽く受け止めた。もしかしたら軽率とか冷淡とか思われているのかもしれない。
だけど、尚紀はもう夏木の香りは覚えていないし、もう思い出したくないのも本音なのだ。
自分の胸にはもう廉がいるから。
「僕はもう番の香りを覚えていないので……」
そう繕うように言った。もう一度嗅げば思い出すとは思うけど、香りを再現するために思い出すことは難しい。
尚紀がそう言い淀むのを、颯真が頭を撫でる。もしかして慰めてくれているのかなと思う。
「わかった」
颯真は頷いた。
「前にも番への執着はそれほどないって言っていたものね」
そう。項の跡も消えてほしかった、絆なんていらない。執着もないと、颯真には伝えていた。
何度も確認してごめんねと謝られた。尚紀は、首を横に振る。おそらく大切なことだから何度も確認されたのだ。
「少し、お話を聞かせてもらっていい?」
颯真は話を変えてくる様子。尚紀は小さく頷いた。
「……はい」
「尚紀さんの番だった夏木さん、彼はどうして亡くなられたのかな。ご病気?」
尚紀は少し答えに詰まる。この類の質問をされ慣れていないのと、それ故になんて答えて良いか一瞬迷った。
その沈黙が、躊躇いと取られたのかもしれない。
「辛いことを聞いたかな」
颯真はこれまで番の死因を尚紀に問うことを遠慮していたのだろう。番を亡くした辛い記憶を蘇らせるのは酷だと思いやってくれていたに違いない。
そんな颯真の優しい気持ちにふわりと触れて、尚紀の心は暖かくなる。こんなふうに、気遣いながら亡き番のことを聞いてくれる人が、自分の主治医なのだ。
尚紀は何度も首を横に振って、大丈夫ですと答える。
「……尚紀さんの話を聞いていると、夏木さんとはきちんとした番関係を築いたように思えるんだけど、それにしては尚紀さんがあまり番へ執着していないなと思ってさ」
尚紀は、颯真がおそらく尚紀と夏木の関係が普通の番ではないということを察し始めているのかもしれないと感じた。
となると、夏木との特異な関係は今後の治療のためにも、颯真に話しておく方がいいのかもしれないと尚紀は思った。
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