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閑話(10)
突然の質問であったようで、颯真は明らかに戸惑っている様子だった。
「え、どのくらいで消えるって……項の跡が消えるまでの期間ってこと?」
颯真はアルファ・オメガ科の医師であるが、廉はこれまで専門家として颯真に、興味を持ってこのようなオメガの生態について質問したことなどなかったからだ。
「珍しいことを聞いてくるな……」
そう反応されるのも仕方がない。ちょっと興味があって……、と言葉を濁す。
「平均的には、おおよそ三、四ヶ月じゃないかな。大体、番を失って次かその次くらいの発情期には消えているケースが多いって聞く。
だけど、『番を亡くしたオメガ』って言っても、いろいろなケースがあるから一概には言えない。一週間で消える人もいれば、数年後っていう話もある」
廉は驚く。
「かなり個人差があるものなんだな」
番を失ってすぐ、翌朝には項の噛み跡が消えている、なんてことは流石に考えていなかったが……。それにしたって、一週間から数年と、個人差がそんなにあるとは思わなかった。
「すぐに項の跡が消える人は普通病院なんて来ないだろう? だから、平均って言われていてもそれが実態なのかは分からない。そもそも数が多くない」
番を失って「跡が消えない」と困って来院する患者を颯真たちは診察している。だから彼らの肌感と実態がイコールとは限らないというのだ。
「すでに母数が怪しいのか……」
廉が呟くと、颯真は皮肉げに「みんなそのあたり興味がないからな」と言った。廉自身これまで考えたこともなかったので、頷くしかない。
さらに颯真は衝撃的なことを告げる。
「オメガの項の噛み跡って、一般的にはアルファが亡くなると消えるとされていて、消える人たちはいいんだよ。中には消えない人もいる」
「……番がいないのに?」
廉は驚く。そんなケースもあるのか。
「番は死亡したにも関わらず、その契約に縛られたまま人生を全うする人もいる。正直、予後は良くない」
予後、という言葉を使われて、廉は戸惑う。それは病気の経過と結末までを示す医学用語だ。番の噛み跡が残ってしまうのは、それほどのことなのか。
「生命に関わる問題か」
廉の問いかけに颯真は吐息を漏らす。
「番とは一蓮托生。先に逝ったアルファの罪深さを感じるよ」
「おおよそどんな経過を辿るんだ?」
廉の問いかけに、颯真は「千差万別」という答え。
「全く症状がなく、発情期は来ないけれど項の跡だけ残っている人もいれば、毎回発情期が来て、なんならそのサイクルも狂って、精神的・体力的にに参ってしまって日常生活が送れなくなるケースもあるし、下手すると精神的に参って自傷行為に至ることもある。その症状もずっと続くわけではなくて、いきなり悪化したり軽快したり……、本人はずっとそれに振り回されっぱなしだ。下手すると周囲も巻き込まれたりする」
実際にどのような症状かは、なってみないと分からないし、傾向も掴みにくいとのこと。
「番と良い関係を築いていたからといって重いわけでもないし、番と険悪だったからといって軽いわけでもない。運としか言いようがない」
颯真はそう澱みなく答える。
「とにかくあれはしんどそうだ」
そう結論づけた。
「お前そういう患者さん診てるの?」
「俺の専門領域だからな」
廉は予想外の颯真の答えに戸惑った。
尚紀の番である夏木真也が亡くなったのは昨年七月。すでにあれから約一年半が経過している。
大丈夫だと、廉は自分に言い聞かせる。尚紀の項の噛み跡は消えているに違いない。
だから、あの巨大な広告看板を見て、自分の番であると認識できたのだ。
颯真に聞いてよかった。
尚紀は現在、亡くなった番との縁は切れているという確証を得たようなものだ。
「廉?」
「あ、悪い。貴重な話をありがとう。助かった」
廉はそう言って、颯真との通話を終了させた。
その数日後の夜のこと。廉は、仕事を早めに切り上げて、渋谷のホテルのラウンジに向かった。
待ち合わせは夜七時。
吹き抜けの天井と大きな窓が印象的で、ブルーの間接ライトが少し幻想的な雰囲気を演出している。人が多く、ざわついているが空間が広いためにあまり気にならない。ピアノの生演奏が耳に障らない程度に流れている穏やかなた空間だ。
廉が待ち合わせの十分前に行くと、すでに先方は到着してるとのこと。ウエイターに案内された先にいたのは、シンプルながらもシックなスーツに身を包んだ、迫力のある美女だった。
「初めまして、江上廉と申します。お待たせしてしまい、申し訳ありません。野上社長でしょうか」
廉の言葉に迫力美女が、立ち上がる。
背も高い、と思う。にっこりと笑った。
「お待ちしておりました。オフィスニューの野上です」
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