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閑話(17)

 尚紀の表情が変わった。 「大丈夫?」  そう野上に聞かれて尚紀は頷く。彼女の手を借りて、立ち上がった。 「すみません……」 「そんなに驚くとは思わなかったわ」  野上の言葉に、尚紀は小さな声で抗議する。 「普通にびっくりします……」  二人のやりとりを廉は見守る。尚紀は本当に事情を聞いていないのだろうから、これはびっくりするだろうなと思った。  野上は廉を見た。 「貴方に面識がないのであれば、この話は終わり、だったのだけど。そうなの、知り合いなのね」  その問いかけに尚紀は小さく頷いた。自分は勝負に勝ったようだが……。 「すみません……。僕、混乱してて……」  尚紀は核心に触れることを避けた。つまり、番であるのかどうなのか。だけど、廉には尚紀にその認識があることが分かった。  番であることが、そんなにショックなのか。  ……亡くなった番に縛られているため、単純には喜べないだろう。  尚紀は手のひらで顔を多い、混乱を鎮めようとしている。寄り添いたかったが、おそらく自分がいては、彼の混乱はますばかりになりそうだ。 「急に訪ねたりして申し訳なかった」  廉がそう謝ると、尚紀は首を横にふる。だけどそれは社交辞令のようにも見えて、自分の考えを振り切る。今は目に見えていることだけを信じようと思う。 「いえ、こちらこそ、すみません……」 「謝らなくていいよ」 「あの……、改めてご連絡する形でよいでしょうか」  尚紀に恐る恐るそのように問いかけられて、廉は素直に退くことにした。  連絡をくれるというのだ。次につながる嬉しいことだし、ゆっくり話すこともできるだろう。  廉は名刺入れから名刺を取り出し、ケースを下敷きにしてプライベートの電話番号とラインのIDを書き付ける。そして、ふと思いつき電話番号の下には「非通知でも大丈夫」と書き添えた。  自分は彼にとって害になる人間ではないし、なるべく尚紀がアクションを起こすための最初のハードルを低くしておきたかった。おそらくこれからしばらくは電話を手放せないし、すべての電話には躊躇いなく出てしまうだろうから問題ない。  廉は、尚紀にそれを渡し、後ろ髪を引かれる思いで、そして野上には視線をしっかり交わして挨拶をしてから、社長室を出た。  尚紀は、廉が渡した名刺をじっと見つめていた。  尚紀と一緒にやってきた黒いワンピース姿の女性は彼のマネージャーだという。廉は、見送りに出てきてくれた彼女に対し、念の為に連絡先を交換してくれないかと話かけ、如才なく彼女の名前と連絡先を得た。庄司君江といい、この事務所の初期から関わっているのだそうだ。あの敏腕社長の片腕なのかも、と廉は考えた。 「本当に、あなたはナオキの番なの?」  そうストレートに問われたが、廉としてはその信念だけでここまでやってきた。  おそらく彼女も尚紀のことを心配しているのだろう。尚紀は本当に人に恵まれていると思った。    いろいろ聞きたいことはあったが、警戒されては今後に響く。廉は後ほど野上に連絡することにして、すんなりと辞去したのだった。

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