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閑話(39)

「ええ、大丈夫よ」  話の時間をもらえないかと許可を問うた廉に対する野上の応対は穏やかなもので、電話であるためというわけでもないだろう、少しフランクなものに変化しているような気がした。 「ありがとうございます。実は伺いたいことがあるのです」  廉は素直に礼を述べ、本題に入る。 「何かしら」 「尚紀の過去のことです」  廉の切り込みに、これまでの軽快な雰囲気が少し浮いて、二人の間に沈黙が舞い降りた。 「……尚紀の過去の、何を知りたいのかしら」  野上からの静かな問いかけ。  廉は背筋を伸ばすように、待合ロビーの高い天井を見上げた。  一呼吸置く。 「尚紀と長く同居されていたシュウイチさん、という方がいらしたそうですが……」  それは尚紀を自宅に受け入れた日の朝、庄司が漏らした名前だった。彼女はシュウイチさんのこともあるから、動けなくなった尚紀が心配だと、と言ったのだ。  疑問に思った廉が、シュウイチのことを詳しく聞くと、どうやら長い間尚紀と同居していた人物で、番を喪い身体の跡が残ってしまった、今の尚紀の境遇に酷似した経歴を持っている人物だったようだ。  それは廉が知らない、尚紀の過去。 「社長はご存知なんですか、シュウイチさん」 「ええ」 「その方は今どうされているのでしょう」  尚紀は一人暮らしをしていると聞いている。そのシュウイチという人物とは一緒に住んでいないようだ。 「なぜそんなこと気になるの」 「尚紀の今の状況が彼と似ていると聞いたから。どうしたって気になるでしょう」  そのシュウイチの状況と尚紀を重ね合わせて、庄司が狼狽えていたのだから。 「そう。彼は亡くなったわ」  野上の答えに廉自身あまり驚きはなく、納得した。あの時のあの反応を見ると……そして、尚紀が今一人でいることを考えると、自然とそのような結末も見えていた。 「……そうですか」  尚紀の身近で同じような症状で亡くなった人がいるのであれば、彼女の心配や動揺も理解できるというもの。 「ナオキに直接聞かなかったのね。それは褒めてあげるわ」  野上にそのように評価され、廉は複雑な気分になる。そもそも尚紀の過去を掘るなと止めたのはこの人物だ。 「あなたに脅されましたし」  わずかな嫌味も込めた一言。廉にとって、野上は番の上司にあたるので、目上の存在と承知しているが、それでも一言くらい言ってやりたくなる。野上は覚えていたのかいなかったのか。 「……そうだったわね」  とさらりと言った。もちろん忘れてなどいなくて、あえてとぼけているのだろうと思う。 「人が悪いですね」  廉は、そのように苦笑せざるを得なかった。 「あの時は、従わねば尚紀には会わせてもらえないと思いましたから」  確かにはっきりと尚紀の過去は自分から聞くなと言われた。廉がそれに素直に従ったのは、隠れて尚紀の過去を探ったとしても、この人物にはバレてしまうのではないかと思ったから。ならば、尚紀の過去を掘り返すことせず、ありのままの今を受け止めようと思った。 「で、なぜこのような話を?」  野上の問いかけに、廉は即答する。 「筋だけは通しておこうと思って、連絡しました」  筋を通すというからには、許可を求めている訳ではないと、相手にも伝わった様子。  廉ははっきり言った。 「尚紀の過去については、自分が承知しておくべきだと思っています」 「尚紀本人が知られたくないと思っていても?」 「それは尚紀がそう言っていたのでしょうか。私は尚紀を傷つけたくないから、彼の過去を知りたいと思っています」 「それはどういう意味かしら」 「知っていれば触れずに済むことも多いと。そのシュウイチさんのことを含め」  野上はスマホの向こう側で、ああ、と頷いた様子。 「すべて自分の腹に収めるのね」 「この先、尚紀が話してくれなかったら墓まで持っていく覚悟です」    廉の決意を、野上はわずかに沈黙で応える。 「……それが自分にはできると?」  彼女は覚悟を問うている。今後、尚紀との関係が穏やかにいくとは限らない。なにかあった時、この事実を本当に腹に含め、墓まで持っていけるのか。それを歳を重ねても可能なのか。  言い切ってしまえば傲慢とも受け取られかねない。  しかし、廉は頷いた。 「野上社長、私はアルファです。番が望まぬことはしません」  番が望まないことをするアルファはいない。  廉の断言に野上は受話器の向こうで苦笑した様子。 「そう。アルファの番への誓いは、信じざるを得ないわね」  そう頷いたのだった。 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ 1年間お付き合いくださりありがとうございました。 2025年もどうぞよろしくお願いいたします。

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